8・9長崎闘争 集会発言 核戦争で勝つ国はない 城臺さんの思い引き継ぐ
週刊『前進』04頁(3155号03面01)(2020/08/17)
8・9長崎闘争 集会発言
核戦争で勝つ国はない
城臺さんの思い引き継ぐ
原子爆弾投下と私たちの被爆から75年。コロナウイルスという地球人類危機の今、核の本当の恐ろしさを知らない世界の指導者たちは、協力も助け合いも忘れて、ののしり、非難し合い、核兵器の実戦配備を急速に進めています。
2019年8月にアメリカ大統領トランプが、一方的にINF(中距離核戦力)全廃条約を破棄。今年2月には潜水艦発射型の小型核弾頭の実戦配備を発表しました。相手のロシアも弾道ミサイルが発射されたら核で反撃すると、国家政策原則を発表しました。まるで駄々っ子が核のおもちゃを自慢しあっているようです。
日本でも、6月に河野防衛相が安倍総理と組んで、敵基地攻撃能力の保有を視野に新たな安保戦略策定の議論に着手すると、突然に表明しました。しかも、ミサイルが飛ばされたら敵地で撃ち落とすというのです。それって先制攻撃ではありませんか。日本国憲法にもとづく専守防衛から、いつ先制攻撃に変えられたのでしょうか。安倍政権が憲法を自分たちのいいように勝手に解釈したのでしょうか。彼らは簡単に敵基地攻撃と言いますが、本当におぞましさを感じます。
1945年8月9日、長崎ではどんなことがあったのか。私は当時6歳でした。今年81歳になります。爆心地より2・4㌔、爆心地と私の自宅との間に360㍍の山があり、その山陰になって私は一命をとりとめました。しかし、家は崩れたので、家族と一緒に福岡県、大分県へ1カ月の避難生活をしました。そのおかげで助かりました。もし長崎にいたら、きっと内部被曝などであとで苦しんだと思います。私の隣に住んでいた友人家族はそれから次々に亡くなっていきました。
原爆の瞬間、長崎市は普通の生活をしていたんです。電車は動いていました。山里小学校という学校では子どもたちが運動場で遊んでいたそうです。自分たちの声で飛行機が近づいた音は聞こえず、遊びながら焼かれました。
長崎市民24万人のうち、約3分の1、7万3千人はその年のうちに命を奪われました。さらに3分の1の人たちは被爆の影響を受けながら生きていたんですが、翌年のお正月以降、徐々に命を落としていきました。孤児になった子どもたちは住むところも、寝るところもなく、アカザという野草を食べて生き延びました。
いまアメリカは仮想敵国を中国やロシアにしてますよね。日本も先制攻撃をすると。でも、したらどうなるか、本当に想像してほしい。核戦争をやったら勝つ国はないんです。山も畑も海も湖も全部を核汚染されたら、いくら上等なシェルターをつくっていても生きられない。
国連がやっている核兵器禁止条約に日本は入っていません。黙って放っていたら、本当に核戦争になります。
内部被曝の話をさせてください。イラク戦争でアメリカは劣化ウラン弾を使いました。広島や長崎のような症状が出ています。第3の原爆です。そして、福島の子どもたちの内部被曝を日本政府は認めないですが、私たちの運動で認めさせなければいけないと思います。
平和って何かっていうと、当たり前の生活が普通にできることなんです。コロナの中で、戦時中と同じだということを感じてほしい。私たちは、コロナと核の二つの問題に対して闘って生きていかないといけないと思います。