資本主義と黒人解放闘争(下) 人種差別の全歴史を覆す闘いが全米・全世界で一斉に始まった

週刊『前進』04頁(3146号02面03)(2020/07/06)


資本主義と黒人解放闘争(下)
 人種差別の全歴史を覆す闘いが全米・全世界で一斉に始まった

(写真 ブラック・ライブズ・マター【BLM】運動に決起したニューヨークの医療従事者たち【6月4日】)


 2014年に米ミズーリ州セントルイスで18歳の黒人青年が警官に殺害され、これに対して暴動・放火・略奪を伴う激しい抗議闘争が展開された際、女性作家ヴィッキー・オスターワイルが論壇サイトに投稿した「略奪行為の擁護論」という論考が注目を集めた。彼女はその中で、「反黒人的なレイシズムこそがアメリカを形成する基盤となっている。それはこの国が『所有する権利』で成り立っていて、搾取、盗用、殺人、黒人の奴隷化をなくしては、いかなる所有権も富も存在しえないからだ」と喝破した。人種差別の上に成り立つ「所有の王国」=アメリカと黒人解放闘争の歴史を、前回(3144号)に続き振り返る。

奴隷解放に対する反動的巻き返しが新たな差別生んだ

 1865年に南北戦争が終わると、北部の新興ブルジョアジーとその政府は南部の大農園主と即座に結託した。再び単一国家となったアメリカが資本主義の発展期に入ると同時に、黒人解放闘争に対する支配階級の反動が始まった。
 奴隷を酷使してきた元農園主が政府から手厚い補償を受ける一方、農園の土地は黒人に分け与えられることなく、投資家や土地投機業者に買い取られた。戦争中に黒人への分与が約束された土地も戦後になって元農園主に返還され、すでに移り住んでいた何万人もの黒人は強制的に追い払われた。無一文で放り出された多くの黒人は小作人となるか、最下層の賃金労働者となるほかなかった。
 人種差別撤廃を規定した公民権法も制定されたが、南部ではこれに反して交通機関や学校、食堂、病院、映画館などで黒人を隔離する制度が次々と法制化された。83年には連邦最高裁判所が公民権法に無効判決を下した。南部支配層が組織した白人至上主義テロ集団KKK(クー・クラックス・クラン)は、警察の黙認のもとで白昼公然と黒人をリンチして虐殺した。
 今も米国社会に根深く残る人種差別と暴力は、奴隷制をルーツとしつつもその単なる「遺物」ではなく、アメリカ資本主義の本格的発展に伴って新たに組織された反革命(階級戦争)の産物なのである。
 こうして黒人解放闘争は奴隷制との闘いから資本主義との闘いに転化した。そしてまさにこの時、アメリカ労働運動は巨大な可能性を秘めて前進を開始した。マルクスは『資本論』で、全米で一斉に始まった8時間労働制要求の闘いを「南北戦争の第一の成果」と評価し、メリーランド州ボルティモアの全国労働者大会(66年8月16日)の次の決議を紹介している----「この国の労働を資本主義的奴隷制度から解放するために必要な現下最大の急務は、アメリカ連邦のすべての州で標準労働日を8時間とする法律の制定である」

分断を乗り越え労働者を団結させたIWWとILWU

 19世紀後半から20世紀にかけての急激な工業化を経て、アメリカが世界一の工業国へとのし上がる中、労働者は困窮、飢餓、失業、感染症、労働災害などに苦しみ、これへの怒りはストライキや暴動となって何度も爆発した。86年5月1日には「5・1メーデー」の発端となる8時間労働制要求の大集会がイリノイ州シカゴで闘われ、同年末にはアメリカ労働総同盟(AFL)が結成された。だがAFLは熟練労働者の処遇改善を主目的とする職能組合として組織され、黒人、移民、女性、非熟練労働者の加盟をほとんど認めなかった。資本はこれらの人々をスト破りに動員し、労働者階級を分断した。
 これに対し、1905年にシカゴで結成された世界産業労働組合(IWW)は「土地と生産機械の所有権を握り、賃金制度を廃止する」「資本主義の廃止は労働者階級の歴史的任務」と規約に掲げ、黒人も移民も女性も非熟練労働者も組合に組織して徹底的に資本と闘った。第1次大戦時には戦争反対を訴えて政府から激しく弾圧され、24年に分裂に追い込まれるが、その闘いが全米の労働者に与えた影響は絶大だった。
 34年にサンフランシスコでゼネストに決起した港湾労働者にもIWWの思想と経験が息づいていた。ゼネストの中で結成されたILWU(国際港湾倉庫労働組合)は「差別はボス(経営者)の武器だ」と訴え、人種・民族・性などによる一切の差別を許さないことを組合の原則とした。その初代会長ハリー・ブリッジスは、ゼネストに決起した組合員を前に訴えた----「今こそわれわれはどのようにして黒人の仲間と共に闘うかを学ぼうではないか」
 この精神は今もILWU組合員に継承されている。

公民権法制定後も続く黒人への暴力支配に怒りが爆発

 第2次大戦後になると、米国内外で人種差別への抗議の声が高まり、各州で雇用や施設利用における差別の禁止が法制化された。50年代には南部諸州でバスの座席の隔離制度に抗議するボイコット運動が起こり、百年越しの公民権を要求する闘いが爆発。63年のワシントン大行進に30万人が結集し、64年には包括的な公民権法が制定された。
 キング牧師が率いた公民権運動は一般に「非暴力」と言われるが、実際は警察やKKKのテロ襲撃を粉砕して果敢に闘われた実力闘争であり、ロサンゼルスの黒人居住区ワッツの大暴動(65年)など激しい暴動と隣り合わせだった。
 他方、FBI(連邦捜査局)は「コインテル・プロ」と呼ばれる運動への潜入やスパイ化工作、盗聴、脅迫、殺人などあらゆる卑劣な手法を使い、ベトナム反戦運動や女性解放闘争と共に黒人の闘いを徹底的に弾圧した。さらに新自由主義のもとで黒人の貧困は深刻化し、警察による虐殺や逮捕・投獄も増加。ワシントン大行進20周年集会(40万人結集)が行われた83年に黒人の失業率は19・5%に達し、その後も常に白人の2倍近い水準にある。
 2009年に「初の黒人大統領」としてオバマが登場したが、同年の11月労働者集会のために来日したILWUの組合員は「アメリカン・ドリームというものがまだあるという幻想を植え付けるために、支配階級が仕組んだ芝居だ」と喝破した。実際オバマ時代に黒人差別は少しも減らず、軍の払い下げた武器で武装した警官による黒人への殺人的暴力は一層激化した。
 ジョージ・フロイド氏虐殺への抗議闘争は、これら一切を覆す決起であり、過去の黒人解放闘争で流された血と涙のすべてを受け継ぐ闘いだ。それはILWUをはじめ闘う労働組合に支えられ、差別の上に成り立つ資本主義の全歴史を告発する国際的大闘争として、世界革命への道を着実に切り開いている。
(水樹豊)

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アメリカ黒人史関連年表(南北戦争以後)
1865年 奴隷制廃止
 66年 最初の公民権法成立
 83年 連邦最高裁、公民権法を無効化
 86年 シカゴで8時間労働制要求闘争
 96年 最高裁、黒人隔離を合憲化
1905年 IWW結成(24年に分裂)
 14年 第1次世界大戦勃発(〜18年)
 17年 ロシア革命
 29年 世界大恐慌
 34年 サンフランシスコ・ゼネスト
 39年 第2次世界大戦勃発(〜45年)
 53年 バスの人種隔離反対運動始まる
 63年 ワシントン大行進
 64年 包括的な公民権法成立
 65年 ベトナム戦争が本格化(〜75年)
    ロサンゼルス・ワッツ大暴動
 68年 全米125カ所で暴動
 83年 ワシントン大行進20周年集会
 92年 ロサンゼルス暴動
2001年 9・11事件、アフガニスタン戦争
 03年 イラク戦争(〜11年)
    日本の11月集会にILWU参加
 09年 オバマが黒人初の大統領に就任
 13年 BLM運動始まる
 20年 ジョージ・フロイド氏虐殺、BLM運動が全米・全世界に拡大

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