資本主義は終わりだ 全国学生の団結でコロナ危機に 立ち向かい、共に未来を開こう 革共同中央学生組織委員会

週刊『前進』04頁(3138号03面01)(2020/06/08)


資本主義は終わりだ
 全国学生の団結でコロナ危機に
 立ち向かい、共に未来を開こう
 革共同中央学生組織委員会

(写真 メーデー行動の前に行われた全学連の文部科学省行動。「学費の無償化」などを求め申入書を提出【5月1日 東京・千代田区】)

 新型コロナウイルスの世界的大流行は、資本主義がいかに社会を破綻させてきたかを暴露した。貧困地域において明らかに高い感染率と死亡率。他方で米シンクタンク・政策研究所(IPS)の発表によれば、アメリカの億万長者たちはコロナ危機下でその合計資産を10%増やしたという。大資本家たちは早々に郊外の別荘へ避難し、数百億円もの豪華クルーザーを借り切って暮らしている。もはや資本家階級に社会の支配者たる資格はない。労働者階級が権力を握るべきだ。コロナ危機への回答はこの一語に尽きる。これからの未来を生きる学生諸君。資本主義の延長線に生きるこ
とを拒否し、別の歴史をつくる道を共に歩もう!

学費減免求める声が拡大

 コロナ危機の中で暴かれた重要なことは、金と教養を持ち、ふだんは社会の代表者ヅラしていた圧倒的強者たる資本家階級が避難しても、コロナ危機に対して人々は懸命に対応したし、それは現に行われつつあるということだ。特に医療労働者の命をかけた必死の労働は、現在進行形で人類を救っている。結局、コロナ危機に対応したのは労働者階級をはじめとする民衆であり、資本家はいらないのだ。資本家階級は、労働者民衆からの搾取でパンパンに膨らんだ財布を置いて消え失せろ! そもそも、その財布の中身をつくったのは労働者の労働だ。今こそ奪い返すときだ。
 労働組合をはじめとする、民衆のための闘う組織が解体され、あるいは腐敗していて役に立たないことによって、コロナ危機下で労働者階級の生活破壊は劇的に進んでしまった。学費の高騰でコロナ以前から限界にまで追いつめられていた多くの学生の間で、今や生活の危機が急激に広がっている。バイトが消失した、自営業を営んでいた親の生活が破綻した、といったことから学費が払えず、退学を検討せざるをえないという悲痛な叫びがあふれている。
 学び生きるための切実な声は、学費減免運動として急速に盛り上がりを見せ、規模の大小はあれ200近い大学・高校で学費の減免を求める署名がネット上を中心に呼びかけられている。安倍政権もその勢いに押され、まったく不十分とはいえ、困窮した学生向けに10万~20万円を支給する政策を打ち出すに至った。各大学でも微弱だが同様の動きが広がっている。
 しかし問題は、このような一過性の危機対応で解決するものではない。「そもそも学費が高すぎる」という問題を避け、一時的な「アメ」でごまかそうとする政府・大学当局の姿勢を許してはならない。

授業料は30年で15倍に!

 高等教育の費用を家計に負担させようとする攻撃は、学生運動への弾圧と学生自治の破壊、そして大学の商業化=「サービス産業」化と一体で進められてきた。
 早くも1971年、文部省(当時)の中央教育審議会で「国公立大学における新しい法人の形態」が提唱されるが、これは当時の学生運動の力で粉砕された。続いて75年には私学振興助成法が成立。政府の助成金によるテコ入れを通じて私立学校の増設・拡充を図り、学校教育を「私的」なものとして浸透させる動きが推し進められた。
 そして80年代に入ると、中曽根政権下で臨時教育審議会第1部会が「教育の自由化」を提唱し、国立大学改革を主張するようになる。東京大学では駒場寮廃寮をめぐる攻防が進行し、京都大学でも自治寮をめぐる攻防が火を噴いた。これらの闘争が続く中、90年代後半には「行政改革」の一環として「国立大学独立行政法人化」が打ち出される。全国各地でかちとられていた学生自治と学生運動の拠点に激しい攻撃が襲いかかり、力関係の変動の上に2004年、国立大学法人化が強行された。
 この過程と一体で、1975年に年間3万6000円だった国立大学の授業料は、2004年には53万5800円と30年足らずのうちに15倍近くも跳ね上がった。学費の家計負担率が5割を超える状況が常態化したのだ。
 もとより資本主義はあらゆる産業に投入できる「自由」な労働力を必要とし、公教育を普及させるものである。日本においては、高卒採用は1968年の94万人をピークとして、2017年には19万人にまで減少した一方、大卒採用は1970年には19万人だったところから、2017年には44万人に上った。一般的には高等教育の普及は、高い収入を目指して学生の側が高等教育を求めてきたことによると考えられがちだが、そもそも高等教育を前提とする「採用枠」があるのは、資本が求めたからなのである。
 日本の支配階級は「学費をかけて高等教育を受ければそのぶん収入の高い仕事につける」として、「受益者負担」の考え方を労働者民衆に強制してきた。だが実は、高等教育の充実を必要としたのは資本家階級の方なのだ。にもかかわらず、高騰する学費は常に家計負担とされてきた。

労働者階級と共に革命を

 資本主義のもとでの公教育の普及は、あくまでも資本の要請に沿ったものであって、資本にとって都合の良い学問や発見は利用され、そうではない学問は切り捨てられる。今回のコロナ危機も、8年前にドイツのロベルト・コッホ研究所が発表した研究報告で極めて近いケースが予測されていた。コロナ危機は「想定外」ではなく、対策がとられるべきであったのに放置されていたのである。2011年3・11福島原発事故でも明らかになった通り、学問は資本主義のもとでは発展の道を歪められる。また、情報通信産業の覇権をめぐって米中対立が激化しているように、新産業の発展が戦争の火種とすらなるのである。
 資本主義社会で生きる私たちは様々な夢を抱く。しかしそれらの夢はつねに「資本の利益に沿う」限りでしかかなえる道はなく、夢を実現するための知識・技術の習得手段すらも資本に支配されている。資本主義のもとで「あるべき教育の姿」を考えること自体が不毛である。もはや学問の発展も、資本主義の打倒なくしては成り立たなくなりつつある。
 前述したとおり、多くの学生の怒りの声は、政府・大学当局から微弱ながら補償をかちとった。だが、歴史的につくりだされた「大学のサービス産業」化が危機においてもたらした現実は、こんなものでは全く足りない。学費や奨学金という名の借金の重圧に苦しめられてきた多くの仲間たちのことを思い、今こそ全学生は団結しよう。
 危機対策の実現にとどまらず、矛盾に満ちた大学を変える力を学生自身が組織しよう。具体的な結集の場をつくりだすことで、ネット上にとどまっている怒りをつなげ、一つにしていこう。あふれだす怒りをキャンパスで、街頭で表現し、漸進的な改良もかちとりながら進もう。
 団結のすばらしさを、人間の可能性を、多くの学生が実感できる闘いをつくりだし、全世界の労働者階級人民と共に共産主義革命への道を切り開こう。この危機の中で資本主義に深い疑問を抱いた学生諸君、マルクス主義学生同盟に結集し、共に闘おう!
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