三里塚に星野同志の碑建立 市東さんの農地守ると誓う
週刊『前進』04頁(3130号03面03)(2020/05/11)
三里塚に星野同志の碑建立
市東さんの農地守ると誓う
(写真 慰霊碑を囲んで、星野国賠勝利と三里塚農地死守を誓った。この土の下に文昭さんが分骨されている【4月26日 成田市天神峰】)
4月26日、成田市天神峰の三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さん宅の中庭で恒例の「天神峰カフェ」が開かれた。続いて、星野文昭さんを追悼するモニュメントの建立が参加者一同の手で行われた。
正午前からコーヒーとお菓子で歓談。星野暁子さんが最初にあいさつに立った。「文昭の獄死について徳島刑務所、東日本成人矯正医療センターの責任を追及する国家賠償請求訴訟を提起しました。6月22日、1回目の裁判にぜひご参集ください。私は、安倍が星野文昭を殺したと思っています。私は『自分が星野文昭になる』と言いました。それは労働者民衆と共に、労働者民衆のためにあり続けるということです。みんなで星野文昭になりましょう。市東さんと共に農地を守り、星の木を守っていきましょう」
ここで、市東さんが立ち寄り、暁子さんを激励して午後の農作業に向かった。
三里塚反対同盟決戦本部長の太郎良陽一さんが「コロナ情勢下でも、市東さんの農地を取り上げようとする敵の攻撃は変わっていない。絶対に守りぬきましょう」とアピールした。
一同は文昭さんが分骨された畑の一角の「星の木」(こぶしの木)へ移動。碑は2本の脚を天神峰の土に深く差して建てられ、銀色のプレートには「星野文昭ここに眠る/『すべての人間が人間らしく生きられる社会を』/1971年7月 三里塚闘争仮処分闘争を闘う/1971年9月 三里塚第二次強制代執行阻止闘争を闘う/1946〜2019」と黒く刻まれている。一人ひとりが2本の脚のもとに白い小石を置き、献花し、手を合わせた。
星野文昭同志は、1971年11・14渋谷闘争にデモのリーダーとして決起し、殺人罪でっち上げで無期懲役刑を下され、無実を訴えて不屈の獄中闘争を44年貫いた。一同は、星野さんを生きて取り戻すことができなかった悔しさをかみしめ、その遺志を継ぐ決意を新たにした。