大坂同志は無実だ! 大坂正明同志の無罪奪還へ(3) 拷問・誘導で少年にウソの「供述」

週刊『前進』04頁(3128号04面02)(2020/04/27)


大坂同志は無実だ!
 大坂正明同志の無罪奪還へ(3)
 拷問・誘導で少年にウソの「供述」


 大坂正明同志は、機動隊員の死亡に一切関与していない。無実である。そもそも物的証拠は一切なく、検察・警察がデモに参加した学生らを脅してねつ造した「供述調書」だけで「殺人罪」をでっち上げた。星野文昭同志、奥深山幸男同志へのでっち上げと全く同じだ。今回は、この「供述調書」が取調官の誘導と強制によりでっち上げられたものであることを暴く。

「殺人罪」つきつけ屈服迫る

 1971年11・14渋谷闘争で機動隊員が死亡したことに大打撃を受けた捜査当局は、その「実行犯」をでっち上げるために総力をあげた。当初、反戦青年委員会に的を絞り、青年労働者を次々と事後逮捕したが、完全黙秘の闘いの前にでっち上げは頓挫した。
 デモ隊のリーダーが高崎経済大学の星野同志、奥深山同志、さらに千葉工業大学の大坂同志であると決めつけた捜査当局は、2カ月後、黒色のヘルメットをかぶって11・14闘争に参加していた高経大の2人の学生(少年)を逮捕。取り調べで「殺人罪をつけるぞ」と脅し、知っている学生の名前を供述させた。その供述に基づき、群馬県下の学生をさらに11人逮捕(後に星野同志を指名手配)。そのうち4人に「大坂が機動隊員を殴打していた」と、ウソの供述をさせた。
 「調べはほぼ毎日、朝9時頃から夜の10時、11時だった。昼食も夕食も取調室だった。房に戻る時間もない。休み時間もない。ずっと取り調べだった」「取調官の言う通り認めないと終わらなかった。精神的に本当に苦痛だった」。これは星野同志・奥深山同志の裁判での証言だ。
 特に「殺人罪」で再逮捕・起訴されたA、B、Cは全員「少年」だった。そのために逮捕から起訴まで2カ月間も勾留され、ウソの「供述」を強要された。まさに拷問である。
 Cは逮捕後、約2週間黙秘を貫いた。すると中津川彰検事が両親を取調室に入れ、父親にCを殴らせた。Cは「取調室には中津川検事がいた。父親にこぶしで3回か4回殴られた。後で母親から、検事が殴るように言ったと聞いた。ショックだった。黙秘していることに対する心の支えがなくなった」と証言している。

警察・検察が筋書きを作成

 Aは「現場検証に連れて行かれたとき、既に位置関係が石墨で道路に書いてあった。それを認めさせられた」と証言している。「僕自身、実感的に殴った記憶はない。しかし他の3人が私が殴ったと言っているのだから、お前が認めなくても、お前が殴ったのは確実だと迫ってくる。僕の取り調べは、記憶を明らかにしろというものではなかった。他の人が言っているから認めろと強要するものだった」
 他の人も「もうストーリーができ上がっていて、それを認めるしかなかった」と言っている。取調官に強要されて「星野や大坂が殴打した」とウソの供述をしたのだ。Dは殴打者の名前を挙げたことについて「検事が色々しゃべって、これもいたろうあれもいたろうと、お前は近くにいたのだ、知らないわけない。知らないと言うならお前に殺人罪を付けるということで仕方なく言ったことです。自分には記憶がないのに調書に書かれた」と証言。
 中津川検事の取り調べを受けた労働者Mは、当日闘争に参加していなかったKについて「現場にいた」との虚偽供述を強いられた。裁判でKはアリバイが明らかとなり無罪となった。
 Mは中津川の取り調べを次のように暴露した。「長時間の調べと、しゃべらなかったら殺人罪で起訴すると、ずっと言われた。写真を見せられ、この中にいるだろうと、朝8時頃から明け方近くまで調べが続いて我慢ができなくなった」
 大坂同志の裁判で、検事は中津川を証人申請している。その立証趣旨は「当時のことは覚えていない」ことだと言う。ふざけるな! 自己の犯した犯罪のすべてを明らかにせよ。違法、デタラメの限りをつくした中津川検事(現在は弁護士)を断じて許さない。
 無実の大坂同志を今すぐ解放せよ!

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▼大坂正明同志 1971年11・14渋谷暴動闘争戦士。殺人罪をでっち上げられ指名手配46年の上、2017年5月18日不当逮捕、起訴された。東京拘置所在監。70歳。

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