大坂同志は無実だ! 大坂正明同志の無罪奪還へ(2) 70年安保・沖縄闘争への報復弾圧

週刊『前進』04頁(3126号04面02)(2020/04/20)


大坂同志は無実だ!
 大坂正明同志の無罪奪還へ(2)
 70年安保・沖縄闘争への報復弾圧

(写真 渋谷闘争。全学連、反戦青年委員会と共に数万の民衆が道玄坂で機動隊と対峙【1971年11月14日】)

青年が社会変革求めて決起

 沖縄の闘いに呼応する本土の青年労働者・学生の新しい運動の台頭。この社会の根底的な変革を求める青年たちの大隊列が力強く登場し、発展しようとしていた70年安保・沖縄闘争。支配階級は自らの死を予感し震え上がった。これが星野文昭同志、大坂正明同志にかけられた弾圧の背景だ。
 1971年は、沖縄返還協定に対する闘争と三里塚農地強制収用阻止闘争の年であり、街頭デモ行動に対する弾圧は激しく、救援連絡センターが扱った被逮捕者総数は約5500人に上った。4〜6月沖縄返還協定調印阻止の闘いでは、機動隊員はジュラルミン製大盾をデモ参加者に対して振り回し、鉄鋲(てつびょう)をうった靴で腹部を蹴り上げるなど、デモ参加者に傷を負わせる目的で暴力を振るった。5月の闘争では、数百発の催涙ガス弾が撃ち込まれ、負傷者は約600人となった。催涙ガス銃は、殺傷能力の高い武器で、水平撃ちが集団的行動の鎮圧に多用された。
 三里塚では、強制収用に抵抗し鎖で体を縛り付けた農民が立木ごと切り倒され、意識不明になったり骨折をしたりした。支援の学生が立てこもった鉄塔の支柱をクレーン車で引き倒し、全員が重傷を負うことも起こった。

機動隊の弾圧を打ち破って

 沖縄返還協定の批准が迫る1971年11月14日、東京・渋谷は1万2千人の機動隊によって封鎖された。 警視庁は、11・14闘争に向けて、警視総監を本部長とする最高警備本部を設置し、全国から警察官を動員して厳戒体制をとることを決定した。11月10日、東京・芝公園で開催された「11・10沖縄全島ゼネスト連帯中央総決起集会」の場で演説した全学連委員長が破壊活動防止法の扇動罪(39条、40条)を適用され、逮捕された。
 東京都公安委員会は、14日に全学連と反戦青年委員会が計画していた東京都渋谷区宮下公園の集会と日比谷公園までのデモを不許可にし、全面的に禁圧した。日曜日の渋谷でデパート6店舗など全商店が閉鎖・休業にされる事実上の戒厳令だった。国家暴力=機動隊による弾圧体制を打ち破ることでしか、沖縄の闘いに応えることはできなかった。全学連・反戦青年委員会は、自分たちの未来をかけた闘いとして「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げ、実力デモを宣言し闘いぬいた。当日の逮捕者は313人に上った。池袋駅では大阪の教育労働者・永田典子同志が機動隊との衝突で虐殺された。

 大坂正明同志が参加した、星野文昭同志をリーダーとするデモ隊は、こうした激突を経て渋谷に集まった万余の民衆と合流し、深夜まで闘いぬいた。

沖縄の闘いに応え改憲阻む

 機動隊の阻止線が突破され、警察官1人が死亡したことは、国家権力にとって「あってはならないこと」だった。国家権力の「威信」をかけた報復弾圧、それが星野同志への死刑求刑--無期懲役判決であり、大坂同志に対する46年にわたる指名手配だった。
 星野・大坂同志はその弾圧と半世紀にわたり闘ってきた。その不屈の魂は国家権力を震撼(しんかん)させ続け、日本における労働者階級の闘いを根底で支えてきた。
 「今日的に沖縄県民の闘いに応えるには、安倍政権が声高に叫ぶ改憲を阻止することです。改憲を許し、『戦争ができる国』になってしまえば、沖縄は最前線の島として、基地が拡充されることは明らかです。本土の民衆は沖縄県民とともに政府の圧政を正し、改憲を阻止する闘いに立つことが問われています。私の裁判は、あくまで沖縄県民の闘いとともにあります」(公判前整理手続にむけて準備された大坂同志の意見書)
 大坂裁判は、決して過去の闘争に対する裁判という意味にとどまるものではない。現在の沖縄の闘い、世界中で沸き起こる新自由主義に対する若者を先頭とした労働者階級の闘いの圧殺を狙う権力との闘いだ。
 大坂同志が訴えているように、改憲阻止の大運動を国際階級闘争の一翼として、職場から力強くつくり上げることが、権力のこの弾圧に込めた意図を粉砕し、大坂同志を奪還する力となる。

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大坂正明同志 1971年11・14渋谷暴動闘争戦士。殺人罪をでっち上げられ指名手配46年の上、2017年5月18日不当逮捕、起訴された。東京拘置所在監。70歳。

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