成田空港 B滑走路が閉鎖 第3滑走路計画は根本から破産した
週刊『前進』04頁(3126号03面03)(2020/04/20)
成田空港 B滑走路が閉鎖
第3滑走路計画は根本から破産した
(写真 閉鎖以前の成田空港B滑走路。市東さんの南台農地をよけてへの字に曲げて造られた誘導路をジェット機が走行している)
NAA(成田空港会社)は、4月12日から成田B滑走路を「当面の間」閉鎖し、A滑走路のみで運用することを発表した。言うまでもなく新型コロナウイルス感染拡大による発着回数激減、乗客減少で追い詰められた結果である。全体で以前のおよそ3割以下への落ち込みと推定される。
1966年の「新東京国際空港」閣議決定以来、国策として機動隊の暴力を使って農民の農地を奪いながら、成田空港の建設は進められてきた。78年のA滑走路のみでの開港強行を経て、さらにB滑走路とそれにかかわる誘導路などの施設を場当たり的に増設し、その既成事実の重みで、一層住民の追い出しを図ってきた。
そして、3500㍍の第3滑走路建設をはじめ、空港敷地を2倍化するという途方もない空港機能強化・拡張計画を実行に移そうとしていた。
だがその傍若無人のふるまいを続けてきた成田空港が根本から破産を突きつけられて、ついに「縮小」に転じたのだ。
われわれは改めて、54年の不屈の闘いを続けてきた三里塚芝山連合空港反対同盟とともに、市東孝雄さんの農地を守り抜き、成田空港を廃港へと追い込むことをここに誓う。
発展神話にすがる末路の4者協議会
わずか半月前の3月27日に、富里市のホテルで、国土交通省、NAA、千葉県、周辺9市町による4者協議会が開かれた。すでにコロナ情勢で空港の運営自体が壊滅的な危機にあるというのに、そのことには一切触れず、①A滑走路の夜間運用に伴う防音対策の拡充、②第3滑走路計画での移転助成、③見返り事業としての地域振興の「実施プラン」などの議題について、やりとりをしたという。
そして、2028年までに第3滑走路を供用し、30年代には新ターミナルを整備することを前提に、相も変わらず将来のバラ色の数字を確認しあった。
年間発着回数は現在の30万回枠(実際の発着は26万回)から50万回に、旅客数は3500万人増の7500万人に、貨物量は1・5倍の300万㌧に、空港内従業員数は2万7千人増えて7万人になるのだという。そして、空港外を含めると6万4千人の雇用が増え、周辺9市町で生み出される経済波及効果は1兆1千億円、人口減少に歯止めがかかり4万人増えて42万人になるのだという。
自分たちでさえ信じられないであろう数字の羅列は、もはや痛々しい限りだ。
この期に及んでも4者には、空港の右肩上がりの発展神話に依存する以外の道がないことの絶望的な表明である。
市東さんの農地を労農学の力で守れ
コロナ情勢がなければ、成田空港は発展の道をたどれただろうか。そんなことはない。安倍政権は東京五輪景気を当て込んでの外国人観光客呼び込み政策を続け、成田はそれを口実に果てしない増便に血眼となり、特にLCC(格安航空)への誘致にのめりこんできた(羽田では危険な都心上空ルートが実施された)。
第3滑走路建設で周辺地域の農地・山林・水系などの大規模破壊を画策し、夜間・早朝に時間延長された運用で住民を殺人的騒音と落下物の恐怖のもとに置いてきた。安全を根本的に無視・軽視し、その中で検疫体制の脆弱(ぜいじゃく)さも置き去りにしてきた。航空労働者、空港内労働者には極限的な強労働を強いてきた。そしてコロナ恐慌情勢下で解雇・リストラを乱発し、路頭に放り出そうとしている。
どこから矛盾が爆発してもおかしくなかった。そして、「有事」となれば巨大滑走路を持つ成田は軍事空港に変貌する。
反対同盟は、人々の命を育む農地こそが守られるべきであり、そこを耕す農民こそが生き続けるべきであること、空港の虚栄が百害あって一利なしであることを声を大にして訴えてきた。これに応えて、労農学連帯の力を今こそ発揮し、第3滑走路建設・空港拡張計画にとどめを刺そう。
市東さんの請求異議控訴審を全力で闘い、農地強奪攻撃を粉砕しよう。反対同盟とともに闘おう。