『棘男』を読んで 大坂正明 武委員長と星野さんに共通の精神
『棘男』を読んで
大坂正明
武委員長と星野さんに共通の精神
1971年に沖縄返還協定批准阻止のデモを闘い、国家権力に殺人罪をでっち上げられ、46年もの指名手配の後、東京拘置所で無実を訴えて闘う大坂正明さんから弁護士あてに届いた手紙から『評伝 棘男(とげおとこ) 労働界のレジェンド 武建一』(平林毅著、展望社)の感想文を紹介します。(編集局)
「棘男」とは関生支部(全日建運輸連帯労働組合関西地区生コン支部)の武建一委員長のことです。国家権力の喉(のど)元に突き刺さった棘を細胞の中に内包している男という意味で名づけたということです。2020年1月で78歳になりますが、現役の委員長です。その78歳の誕生日を獄中で迎えることになります。関生支部が大弾圧を受けていることは周知の通りですが、その最も悪辣(あくらつ)な攻撃の中心にさらされているところです。もちろん獄中でも意気軒高と闘っています。その武委員長の人となりや関生支部の闘いの歴史がこの『棘男』で展開されています。その内容はそれぞれに読んでいただけば分かりますので詳しく紹介しませんが、ここでは武委員長と星野文昭さんに共通する人一倍強い精神に感銘を受けた点にふれたいと思います。
武委員長は「ひとの痛みは己の痛み」を信条の一つにしています。そして逆境に強いことがあげられています。さらにその不屈性は55年にわたる労働運動の指導者としての歴史が示しています。まさに星野さんと同じ特質を持った人物なのです。もちろん共産主義者ならば誰もがこういう信条、性格を持ってはいるのですが、この2人は際立って強いということなのです。だから人物そのものに魅力がありますし、多くの人をして彼らから学びたいと思わせるのです。
現在、権力は関生支部への大弾圧を最先端として「労組のない社会」をつくろうとしています。しかし、その反撃の手がかりは関生支部と武委員長の闘いの歴史の中に宿っています。それを私たちが学びとることが重要だと思います。
この関生支部の闘いと対照的な日本共産党スターリン主義について述べておきます。私には、スターリン主義の本質をむき出しにして関生支部への悪質な敵対をした日本共産党が強く印象に残りました。武委員長は1960年代半ばに日本共産党に入党するとともに関生支部の委員長に就きました。しかし1970年代に入ると武委員長とその闘いは、日本共産党から「過激派」とのレッテルを貼られます。1980年代には「赤旗」で関生支部批判が展開されるに至って、武委員長は脱党しました。日本共産党は、関生支部が権力と非妥協的に闘う姿を見て、「市民の安全を守る権力と、市民を弾圧する権力がある」として、権力との闘いはほどほどにしろと言っているのです。
今日、日本共産党スターリン主義は綱領で「資本主義の枠内での改革」を打ち出していますが、この核心は資本家階級を守り、資本主義を守るというものです。したがって、資本家階級・資本主義が危機に陥った時には、それを守るために労働者側を抑圧し弾圧するということなのです。
昨年12月の新聞に日本共産党が中国共産党を批判した次の言葉が載っていました。「核兵器への態度や覇権主義の行動、人権侵害は『共産党』の名に値しない行動だ」というものです。私は、これを読んだ時には思わず声を出して笑ってしまいました。「それはお前もだろう」と思ったからです。「資本主義の枠内」といって資本主義を守る側に立つ日本共産党はその名に値するのか? ということを考えれば、両者とも同類だということは明らかです。スターリン主義という存在は、労働者階級に敵対する反革命以外ではないのです。
権力は武委員長を未決のまま勾留し続けることによって、その目的である関生支部つぶしを狙っています。しかし、いかに切り崩されても、関生支部は復活を遂げるはずです。労働者階級は敗北の中に強さを蓄えていきます。労働者階級は階級として最後に勝利すればいいのです。
たとえ星野さんのように獄死を強制されても、最後の勝利のための踏み石となるならば、共産主義者はそれを引き受けるものです。
私もその一人として、すべての獄中者とともに闘い続けたいと考えています。