三里塚・新やぐら裁判 強制執行許さない 3証人が裁判長に迫る
週刊『前進』04頁(3096号03面04)(2019/12/23)
三里塚・新やぐら裁判
強制執行許さない
3証人が裁判長に迫る
12月16日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、新やぐら裁判が開かれた。この裁判は市東孝雄さんの天神峰農地に建つ三里塚芝山連合空港反対同盟所有のやぐら・看板などの四つの物件について、成田空港会社(NAA)が「収去と土地の明け渡し」を求めて提訴したものだ。
1人目の証人は加瀬勉さん。多古町に生まれ、63年の富里空港案の時から反対闘争に取り組み、66年に三里塚に常駐。71年の取香(とっこう)の小泉よねさんに対する強制代執行を目の当たりにした。9月20日、「今日は代執行中止」と県知事の発表がもたらされ、よねさんが脱穀作業を始めた直後に執行官、機動隊、ガードマンなどが大挙して現れた。完全なだまし討ちだ。抵抗するよねさんの顔面に機動隊は大盾を打ちつけ、前歯を折り、彼女は白目をむいて倒れた。国家権力が法を踏みにじり、法を凶器に変えて農民を殺すなら実力闘争しかない。
NAAがまたしても巨大な第3滑走路を建設しようとしている。市東さんの農地を奪う判決を出すなと、裁判長に迫った。
2人目の証人は平野靖識さん。ベトナム反戦運動の高揚の中で69年に三里塚に来た。70年に小泉よねさん宅敷地内に団結小屋を建てて暮らし始めた。市東東市さん(孝雄さんの父・故人)とは日常的に交流していた。南台と天神峰の畑について、地主が空港公団に売り渡していたことを東市さんは知る由もなかった。
平野さんは成田シンポジウム、成田円卓会議にスタッフとして参加。93年6月に2期工事の事業認定は失効。94年10月に隅谷調査団の最終所見が示され、「用地の取得のために、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決されなければならない」と確認された。公団、運輸大臣、県知事などがこれを受け入れ、合意した。市東さんの農地裁判判決での「話し合いが頓挫した場合はその限りではない」などという解釈が入る余地はまったくない。裁判所は平和的・理性的な解決の道に資する判決を出さなければならないと訴えた。
3人目は反対同盟事務局の伊藤信晴さん。天神峰農地での看板の設置にかかわってきた。暫定滑走路供用開始を前にこれに反対する看板を出荷小屋の横に建てた。さらに農地北側に、誘導路を走行する飛行機からも見えるように「空港反対」の大看板を建てた。自衛隊のイラク出兵を前に県道脇に「成田軍事使用反対」「イラク出兵阻止」の看板を設置。現在は「強制収用阻止」「第3滑走路粉砕」と書かれている。
伊藤さんは看板に書かれたスローガンは生活の延長から生まれた心底からの叫びだと強調し、そうした表現の自由は守られるべきものであり、「明け渡しの必要などない」と断言した。
そしてNAAが文書提出命令にも従わず、自らの違法行為を隠蔽(いんぺい)しようとしていることを糾弾し、法理哲二(元空港公団用地部用地課長代理)、浅子直樹(元公団用地部長)、黒野匡彦(元公団総裁)の証人採用を決定するよう裁判長に迫った。
次回期日は1月22日。
千葉県弁護士会館で報告集会が開かれ葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団一人一人が闘いの決意を述べた。最後に太郎良陽一決戦本部長が、12・24成田空港公聴会弾劾闘争、1・12団結旗開き、1・16請求異議控訴審第2回(東京高裁)への参加・結集を強く訴えた。