神戸「教員いじめ問題」によせて 安倍、萩生田が元凶職場に団結と組合を

週刊『前進』04頁(3082号02面02)(2019/11/04)


神戸「教員いじめ問題」によせて
 安倍、萩生田が元凶職場に団結と組合を

「物言えぬ職場」にしたのは誰なのか

 神戸市立東須磨小学校で起きた教員間の「いじめ問題」が連日報道され、加害教員への「処分」「刑事罰」が問題の帰結点であるかのような空気が作り出されている。文科省が「厳正な処罰を」(亀岡偉民副大臣)と叫び、一切を教育労働者の責任にし、現場への一層の締め付けをもくろんでいることは断じて許せない。安倍とその「腹心の友」である萩生田光一・文科相こそ、改憲・戦争と民営化のために公教育と学校現場、そして教育労働者の団結を破壊し、東須磨小問題を生み出した張本人だからだ。自分たちの責任を棚上げにした神戸市議会の「給与差し止め」条例化も許せない。
 全国の学校現場で同様の出来事が次々と明らかになっている。東須磨小問題は氷山の一角であり、構造的問題であることは現場の多くが実感するところだ。
 加害の中心の教師たちは、「神戸方式」という人事方針のもと校長がヘッドハンティングしてきた「指導力があり」「学校運営の中心的存在」だったと言われている。今日の学校では、管理職と意を通じた一部の「力ある」教員が職場を分断支配していることは珍しいことではない。「鍋ぶた型組織」(管理職である校長・教頭以外の教員は横並び)から校長を頂点とする「ピラミッド型組織」への転換と徹底した成果主義が、「物言えぬ職場」にしているのだ。
 東須磨小問題は、教職員への評価制度による競争と分断、過重労働にたたき込まれた学校現場の矛盾そのものではないのか。資本と国家のための教育を強制することを狙い、こうした職場支配を貫こうとする安倍の改憲に向けた教基法改悪―「教育再生」攻撃がもたらしたものではないのか!
 そして教職員組合運動の問題として主体的にとらえ返せば、問題の根拠は、日教組本部が20年以上、文科省と「パートナー路線」を続けてきたことにある。

教育と生きる権利を奪い返す闘いを

 文科省、教育委員会との絶対反対の闘いが培う職場の団結は、階級性と協働性に裏打ちされた教育実践を作り出し、そこには時に激しい議論があったとしても「教員いじめ」など入り込む余地はなかったはずだ。兵庫県教組は日政連議員を輩出し、教組の組織率は極めて高いと言われている。東須磨小問題が労働組合の課題に挙がらず、組合員の厳しい議論の中で止揚されなかったのはなぜなのか。
 私たち教育労働者が子どもたちに求める「なかま」の姿は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という実にシンプルな言葉で表される。いじめにも差別にも戦争にも絶対反対で団結して生き抜く力を培うことが教育労働の目的だ。そして、教育労働者の中に「正規・非正規の分断を打ち破り、年齢やキャリア、能力や成果などに関係なく共に闘い、共に教育を創造する職場の団結を育てる」のが教職員組合であるはずだ。
 ところが改憲をゴールに据えた国鉄分割・民営化攻撃は教組破壊にも及び、新自由主義「教育改革」が教育現場を荒廃させている。私たちがなすべきことは、教育と教育労働者の生きる権利を一体的に奪い返していく教職員組合運動の団結を現場によみがえらせていくことだ。
 たった一人の非正規職の仲間の解雇撤回を闘い抜いたところから出発した日教組奈良市は、ここ数年、現場に次々と起きる命さえ脅かす教員いじめ(職場からの排除・解雇攻撃)と闘い続けている。管理職と一部の教員によるいじめの構造と本質は東須磨小と同じだという。ただ違うのは、日教組奈良市が労働組合として一切の責任を引き受け、当該と団結して闘っていることだ。パワハラ、いじめを評価制度、管理強化・職場支配、団結破壊との闘いとして位置づけて教育委員会の責任を追及している。そして団結を強化し、改憲・戦争阻止!大行進運動の先頭でも闘っている。
 全国の教育労働者は職場に団結を作り出し組合をよみがえらせるために闘おう。そこに教育と教育労働者の未来がある。
(関西 教育労働者・山本一)
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