山城信康同志を追悼する 県党創生期から「基地の島」の変革をめざし闘った生涯 革共同沖縄県委員会
山城信康同志を追悼する
県党創生期から「基地の島」の変革をめざし闘った生涯
革共同沖縄県委員会
7月30日未明、革共同沖縄県委員会の創生期から闘いの先頭に立ち続けた山城信康同志が急逝しました。享年69。私たちは同志の不撓(ふとう)不屈の闘いの人生を受け継ぎ、「基地のない平和で豊かな沖縄」を目指して闘い抜きます。
琉大全共闘として
山城同志は1949年、沖縄県金武村(現在の金武町)に生まれました。その後那覇市に移り、首里高校卒業後、69年に琉球大学法文学部に入学。69年は沖縄戦後史の大転換点で「B52撤去」を掲げた2・4ゼネストが「挫折」、社・共、カクマルを乗り越える闘いを目指す青年労働者と学生の決起が始まります。4月28日の県民大会には一人の青年労働者が「那覇地区反戦」の旗を掲げて決起、8月14日には中核派の学生が嘉手納基地突入闘争、10月5日には沖縄県反戦青年委員会が結成されました。
山城同志は後期開講から琉大全共闘として活動を始め、全琉大生に10・21国際反戦デーへの決起を呼びかけます。カクマルと民青しか存在しなかった琉大からついに革命的な学生運動が開始されたのです。この闘いの中で初逮捕されます。
県反戦と琉大全共闘、沖大での闘いと一体で、70年2月に全軍労牧港支部青年部(牧青)が結成。4月には琉大土木ビル占拠闘争が闘われ、沖縄の大学で初めて機動隊が導入されました。山城同志を含む4人の砦(とりで)死守戦士は、機動隊500人と8時間の激闘を闘い抜きます。
対権力・カクマル戦
山城同志は71年冒頭に革共同に加盟し、沖縄県委員会の結成に参画します。
同年、沖縄の労働者階級は日本階級闘争史上初のゼネストを決行。11・10ゼネストは「暴動闘争」として爆発しました。先頭に立っていた山城同志は、11・10への総決起集会に機動隊が乱入して不当逮捕されます。
72年のペテン的「返還」をへて、山城同志は対カクマル戦の最先頭で決起し、「復帰」以降の闘いを牽引します。74年には琉球大学でのカクマルに対する戦争と、それに対する大弾圧との闘いに突入します。
74年2・12沖縄文化社への弾圧で不当逮捕された山城同志に、獄中で「殺人罪」でっち上げ再逮捕・起訴攻撃が加えられます。5年間の獄中闘争の末、実刑10年が確定します。「7回に及ぶ逮捕攻撃を受けながら、これをことごとくはねのけて闘った」と当時の沖縄県委員会機関紙『激流』に、その不屈の闘いが記されています。
熊本刑務所で非転向を貫き、86年に勝利者として出獄。直ちに関西新空港建設反対闘争がピークを迎えていた大阪・泉佐野現地で闘い始めます。90年5月には泉佐野市議選での国賀祥司氏の2期目の当選を勝ち取ります。その後上京し、在本土の沖縄青年運動を担います。93年には、植樹祭への天皇訪問を要請した大田知事(当時)に対する糾弾闘争で不当逮捕されます。
国鉄闘争根付かせ
96年夏、前年の10・21県民大会の10万人決起を受けて、十数年ぶりに沖縄に戻ります。沖縄での労働運動の階級的な発展を目指した山城同志の闘いに対して、2002年10月、国労5・27臨大闘争弾圧で不当逮捕攻撃が掛けられました。
その後の闘いで特筆すべきことは、「沖縄の地に国鉄闘争を根付かせ」発展させる挑戦として06年から始めた動労千葉の物販闘争です。沖縄全島、さらには宮古島まで動労千葉の高石正博さんと共に労組オルグに入りました。星野文昭同志奪還の闘いにも全力を傾注。そして今年の夏季物販をやり抜き、夏秋の闘いに向けた中での急逝でした。最後まで闘いの最前線に身を置き続けた生涯でした。
山城同志の50年の闘いの人生は、沖縄の労働者階級の闘いの歴史そのものであり、沖縄における革命的共産主義運動の創生と発展の歴史そのものでした。「基地の島」の根底的変革への道は様々な困難との格闘の日々でした。その闘いの最先頭に立ち続けた山城同志の闘いの中に、沖縄の労働者階級の勝利の現実性があります。
この闘いの道半ばで倒れたことを最も悔しく思っているのは山城同志です。しかし、私たちが彼の闘いを継ぐ限り、私たちの闘いの中に彼は存在し続けます。
私たちは、山城同志が目指した「基地のない平和で豊かな沖縄」=プロレタリア革命の勝利まで闘うことを改めて決意します。
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那覇で偲ぶ会闘い継ぐ決意
10月13日、那覇市内で山城さんを偲(しの)ぶ会が、生前共に闘った6人が呼びかけて開かれました。和田邦子さんの司会で、献花後、黙祷(もくとう)。山城さんの略歴の紹介、主催者を代表して真喜志康彦さん、お別れの言葉を実行委から金城幸男さんと水島満久さんが述べました。
司会を金城さんに交代して山城さんの思い出----労働戦線での様々な闘いや星野文昭同志奪還の闘い、学生自治会と一緒の沖縄大正門前でのビラまきなどを語り合いました。
ご家族のあいさつを受け、彼の闘いを引き継ぐ決意を全体で固めました。