団結ひろば 投稿コーナー
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9・1へ「隠された爪痕」上映
杉並 茅原まり
東京西部の改憲・戦争阻止大行進〈改憲とめる波をここから〉は8月17日、例会「『隠された爪痕』上映と納涼の夕べ」を行った。軍隊慰安婦、徴用工問題の解決を拒否し、排外主義をあおる安倍政権はかつてない緊張を生んでいる。関東大震災―朝鮮人虐殺から96周年の9月1日を控え「労働者の国際連帯だけが戦争を止める。そのために歴史を学ぼう」と企画した。
「1982年9月、東京の荒川河川敷で地元の古老の証言をもとに、遺骨の発掘作業が始まった。映画学校に通う朝鮮と日本の若者たちがカメラを持ってかけつけた。真実が隠されてきた60年の歴史を、この映画は追う。曹仁承(チョインスン)さんはじめ、多くの証言が真実を語る......隠されてきた歴史の爪跡を明らかにする貴重な記録映画である」(映画案内チラシから)。この若者が呉充功(オチュンゴン)監督。
映画は河川敷の発掘現場から開始。鈴なりになって見守る在日、近隣の住民、学生、研究者。その輪の中で貴重な証言が語られ始める。結局遺骨は一体も発掘されず、涙とともに花束を投げるチマチョゴリの女子学生。カメラはその一つ一つを丁寧に記録する。若き呉監督と証言する「アボジ」ら在日一世の会話の背景に、日本の侵略と3・1独立運動など抵抗の歴史、在日朝鮮人の生活・苦闘など貴重な映像が流れる。
上映後の交流会では、日本帝国主義の朝鮮侵略・植民地化の歴史をたどった。1909年安重根の決起、19年の3・1独立運動を経て22年第3回メーデーには在日朝鮮人が参加、23年メーデーでは「朝鮮の同胞を解放せよ」のスローガンが掲げられた。関東大震災の虐殺は日朝の労働者が合流し侵略戦争反対に決起することへの反革命だった。事実を初めて知ったという人もあり、図らずも参加者が「自分史の中の在日・朝鮮」を語る場となった。
ベトナム戦争時の米軍反乱
東京 薄墨すみれ
8月24日、「中部・南部改憲阻止大行進」の第5回定例会が持たれた。講師は在日米国人。テーマは「ベトナム戦争時の米軍内抵抗運動」だ。
1964〜75年の米国によるベトナム侵略戦争に対して、米国内を始め日欧など全世界で反戦闘争が闘われた。なぜ米国は敗北し撤退したか? 一般的には、南ベトナム民族解放戦線(NFL)の正義性と団結に裏打ちされたベトナム人民の獲得と軍事的勝利、米日欧など全世界の反戦闘争の爆発の結果と言われている。今回初めて米軍内での反乱で軍隊崩壊にまで至り敗北・撤退したと聞き、驚くと共に感動した。権力に都合の悪いことは報道されないため、日本人でもほとんどこの事実を知らないのではないか。
68年のNFLによるテト攻勢でNFLがサイゴンの空港や米大使館まで攻め込んだのが転換点。
米軍内は徴兵制による階級矛盾(貧困層の兵士と富裕層の徴兵逃れや将校配属、軍隊内での人種差別と怒り)が、NFLの優勢の中で、脱走(70年までで6万5千人)、個別分隊の戦闘回避、司令官・下士官殺害などで、70年には特に陸軍で崩壊状況だった。67年からの軍隊内地下新聞は、反戦をテーマとしたものが72年までで300点に及ぶ。73年には遂に徴兵制を廃止。75年の敗北で米政府は今日まで、徴兵制度の再開を呼びかけられない。
こうした軍隊反乱には、米国社会での「戦争の現実の暴露」や反戦闘争、多人種帰還兵の組織的集会・デモなどが大きな影響を与えている。
今日、私たちは安倍政権の改憲攻撃と韓国への経済制裁から戦争政策をとろうとしている現実に直面している。講師の提起は、いかなる状況でも、階級矛盾に対する怒りを組織する闘いに勝利の展望があることを示している。
「前進チャンネル」は楽しい
群馬 白川はるな
「前進チャンネル」を見すぎるくらい見ています。全学連の方が弾く「前進」紙面紹介のときのBGM、ショパン「革命」のピアノ生演奏も、タッチがしっかりしていてとてもよかったです。
ポーランド生まれのショパンが20歳の時、秋のウィーンでワルシャワ蜂起の知らせを聞き歓喜。しかし翌年の夏にパリに向かう途中、ロシア軍にワルシャワ革命が武装鎮圧された知らせを受け、怒りと絶望に駆られて作曲したのが、のちに「革命」と呼ばれるこの曲。
ショパンはマルクスより8年早く生まれ、『共産党宣言』が発刊された翌年に結核で亡くなってしまいますが、同じ時代を生きた人。そんな感じが「前進チャンネル」215回からも伝わってきました。
「フリートーク」を続けてください。『虹色のトロツキー』『夢幻紳士』、懐かしかったです。
ハングルで「こんにちは」「それではまた」とか、日常会話を教えてくれるとうれしいです。
また、「こんなの食べた」「作って食べた」とか、好きな動物や、「こんな地球を作ってみたい」とか、何でもいいと思います。私はちなみに「お金と国境のない地球」です。
新自由主義が招いた大水害 佐賀県出身者(東京西部) 松尾博行
8月28日、見慣れた風景が水没したのをテレビ報道で見た。故郷・佐賀県など九州北部の大水害の映像である。
武雄市は有明海に注ぐ六角川の最上流に位置し、市街地と呼べるものは温泉街周辺のみの過疎地である。有明海は干満の差が極端で、満潮時には3㌔近く逆流することで知られている。かつては流域が産炭地でもあり、潮力で船を運航するなど水運の活用もなされた。しかし、いったん満潮時に大雨が重なると、低レベルの浸水は日常でもあった。これは半世紀以上昔の話である。
「想像を超えた豪雨」という言い訳はやめよう。全国で起きている災害が新自由主義による人災であるように、今回の大水害も国土交通省河川局の無策の結果である。分かりきっていたことをやっていなかった証左である。
同時に自治体の無策もあきらかである。31日になってやっとボランティアを受け入れるなど動きは悪い。平成の大合併により北方町・山内町と合併し武雄市の区域は拡大した。しかし、住民福祉の向上とは真逆の市職員減が目的である以上、当然といえば当然だ。
その一方、行政のキャッチコピーは「それ武雄がやります」の言葉どおり、新自由主義政策のオンパレードである。2代にわたる総務官僚上がりの首長のもと、全国的に有名になった図書館のツタヤ図書館化、住民や医師会の反対をおしきって行われた市民病院の売却、公教育においても花まる学習会との官民一体型学校、利便性が向上しない上に地元負担のみが残ると反対が多い長崎新幹線のフル規格化推進等々。市民生活とかけ離れたことばかりである。
新自由主義政策の過疎地での実験台にされたことが、水害の被害をさらに拡大させたと言える。