安倍政権の排外主義を撃つ 日韓問題と徴用工問題Q&A 植民地支配を居直る安倍 謝罪と償い拒否した日韓条約 「解決済み」は日本政府の大うそ
安倍政権の排外主義を撃つ
日韓問題と徴用工問題Q&A
植民地支配を居直る安倍
謝罪と償い拒否した日韓条約
「解決済み」は日本政府の大うそ
昨年来、安倍政権による韓国への敵対政策が続けられ、「日韓対立」がかつてない勢いで激化する中、韓国・ムンジェイン政権は22日、パククネ前政権が安倍と結んだ日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄を決定した。これまで居丈高に韓国を恫喝してきた安倍政権は、予想外の事態に慌てふためき、ますます韓国への非難を強めている。日本の野党やマスメディアもほとんどが安倍政権に同調し、官民一体で異様な韓国バッシングが繰り広げられている。だが、そもそもこの間の「日韓対立」の直接の発端となったのは、昨年10月30日に韓国大法院(最高裁)が出したいわゆる「徴用工判決」に対する安倍政権の異常な対応である。安倍は「1965年の日韓条約と請求権協定で、問題は完全かつ最終的に解決されている」と、あたかも韓国側が「解決済み」の問題を蒸し返してきたかのように主張するが、実はこの日韓条約で日本側が一切の謝罪・賠償を拒否したことが問題の核心にある。排外主義をうち破り、日韓労働者の連帯のきずなを打ち固め、11月国際共同行動の成功をかちとるために、徴用工問題と日韓条約について「Q&A」で明らかにしたい。(本紙・水樹豊)
「徴用工」への賠償は当然
Q.日本政府はいわゆる徴用工判決を「国際法に照らしてありえない」と非難し、「韓国による国際法違反の状態を是正する」と繰り返しています。問題は「韓国の国際法違反」にあるのでしょうか?
A.いいえ。徴用工判決にも、その後の韓国政府の対応にも「国際法違反」にあたるものは一つもなく、韓国側の対応をそのようにみなす声は世界的にも皆無です。「国際法」うんぬんは安倍政権による国内向けのデマ宣伝にすぎません。
Q.しかし、日本政府は「65年の日韓請求権協定で賠償問題は解決済みであり、今回の判決は協定違反だ」と言います。
A.65年「国交回復」時に結ばれた日韓条約と請求権協定についての詳細は後で述べます。しかし、まずもってはっきりさせておくべきことは、徴用工や日本軍軍隊慰安婦をはじめ、かつての朝鮮植民地支配のもとで日本の軍や企業が行った数々の残忍かつ非人道的な犯罪行為に対し、日本は何の償いもしてこなかったという事実です。だから安倍も「賠償済み」とは言えず「解決済み」というあいまいな言い方でごまかしているのです。
Q.とはいえ、韓国側は65年の時点で賠償請求権を放棄したはずでは?
A.いいえ。65年の協定は「外交保護権」、つまり「個人の損害賠償請求を国が外交的手段を通じて援助すること」を相互に放棄しただけであり、賠償請求権そのものを消滅させたわけではありません。もともと個人の請求権を国家間の協定で消滅させることはできないのです。そのことは、日本政府も91年の外務省条約局長の国会答弁などで認めてきました。
そもそも今回の判決は、元徴用工が民間企業に対して損害賠償を求めた民事訴訟の判決です。安倍はそれを国家間の対立にまで仕立て上げて大騒ぎし、事実上の経済制裁まで発動して韓国側の司法判断をねじ伏せようとしているのです。「国際法に照らしてありえない」ことをやっているのは安倍政権の方です。
Q.新日鉄住金訴訟の原告4人について、安倍首相は「募集に応じた人々なので『徴用工』ではなく『旧朝鮮半島出身労働者』だ」と言いますが......?
A.言葉のすり替えで問題の本質をごまかそうとする詭弁(きべん)です。安倍が言っているのは「原告らは国家総動員法の国民徴用令に基づく徴用ではなかった」ということにすぎません。しかし、徴用とは国家総動員法に限らず、国家の命令で特定の職場・業務に強制的に就労させること全般を意味します。当時は総動員法以外にもさまざまな徴用法規があり、原告4人の場合は軍需会社法徴用規則に基づく徴用でした。また「募集に応じた」といっても実際には強制的な動員でした(コラム参照)。
甘い汁を吸った日本企業
Q.日韓条約とは何なのですか?
A.日本と韓国の「国交正常化」のための基本条項を定めた条約で、請求権協定などの附属協定と共に65年に締結されました。
日韓条約締結に向けた動きは、朝鮮戦争の真っただ中の51年頃に米国の強い後押しで始まりました。その狙いは北朝鮮や中国、ソ連に対抗する反共軍事国家としての韓国を米日共同で支援することでした。日本はこの目的に加え、韓国を日本の影響下に置き、日本企業の南朝鮮への再侵略(事実上の再植民地化)へ道を開こうと狙いました。7次にわたる日韓会談を経て、日本の佐藤栄作政権と韓国のパクチョンヒ軍事独裁政権は、両国の民衆の反対の声を踏みにじって条約締結を強行しました。
Q.反対の声が上がったのはどうしてですか?
A.まず、条約は韓国のパク政権を「朝鮮における唯一の合法政府」とみなし、北朝鮮を認めず韓国だけを承認するものでした。さらに日本側は1910年韓国併合条約を「合法かつ正当」と言い張り、36年間の植民地支配への謝罪・賠償を拒否しました。これでは、日本が提供する有償無償5億㌦も賠償にはあてられず、韓国民衆を抑圧する軍事独裁政権の資金、そして日本企業の経済侵略の呼び水に使われることは明白だったからです。
Q.今言った「有償無償5億㌦」というのは、賠償金ではないのですか?
A.正確には、有償2億㌦、無償3億㌦に民間借款3億㌦を加え8億㌦が韓国に提供されましたが、それはあくまでも「経済協力資金」、言い換えれば「独立祝い金」(椎名悦三郎外相=当時)であって賠償金ではない、というのが日本政府の一貫した主張です。そして実際、元徴用工をはじめ植民地支配下で命と人権を踏みにじられた被害者の賠償には、びた一文も使われなかったのです。
岸信介ら元戦犯や戦犯企業が暗躍
Q.ではその「8億㌦」はどこへ行ったのですか?
A.まさにその点を解明することが日韓条約の本質を見抜く鍵です。まず、この「経済協力資金」の提供は多くの場合、日本から物品・役務を購入することが条件とされました。それによって甘い汁を吸ったのは三菱、三井、日本製鉄などに代表される戦前以来の日本の大企業、つまり「戦犯企業」だったのです。
今年の8月5日、韓国のテレビ局JTBCが「8億㌦」の行方を追ったドキュメンタリー番組を放送し、大きな反響を呼びました。それによると、たとえば71年に始まったソウル地下鉄建設事業には、日本からの有償借款8千万㌦があてられましたが、年利4%超という不当な高利の上、「日本企業が作った車両と部品のみを使用する」「化学材料やプラスチックなど16件の核心品目を日本企業から買う」などの条件付きでした。そしてこれを受注した三菱や丸紅などの合弁事業は、車両の納品価格を日本国内での販売額の2倍近い値段に引き上げた上、代金の一部を横領しパク政権に賄賂を渡していました。
Q.結局は日本企業がもうけただけですか?
A.そうです。このような「経済協力」を主導したのは、旧「満州」で暗躍した元A級戦犯の岸信介(安倍の祖父)が初代会長を務めた日韓協力委員会でした。そしてパク政権は岸や日本の戦犯企業と癒着して工業化政策を推進し、「馬山輸出自由地域」などの工業特区に日本企業を誘致しました。そこでは、法人税の免除、労働組合・労働争議の全面禁止、土地・工場・施設・電力・用水などの無料提供、利潤の本国送金の容認など、植民地さながらの特恵待遇が日本企業に与えられました。そして韓国の労働者は軍事独裁政権の過酷な弾圧のもと、飢餓水準の低賃金と無権利状態で徹底的な搾取にさらされたのです。
日韓連帯で安倍を倒そう
Q.そうした経緯もあって、現在の韓国では激しい反日運動が起きていると。
A.いいえ。韓国の集会やデモで掲げられるプラカードのほとんどは「NO安倍」です。当初は「NO日本」といった表現も見られましたが、韓国の労働組合の全国組織である民主労総は、民族主義的な「日本嫌悪」の運動に反対し、「日韓労働者の連帯」を呼びかけてスローガンの転換をかちとっていきました。韓国の圧倒的多数の人々は、日本の労働者民衆に友好と連帯を求めているのです。
Q.では、私たちがそれに応えるにはどうすればいいのでしょうか?
A.安倍政権は、韓国を「敵国」のように扱うことで排外主義をあおり立て、日本国内の矛盾から人々の目をそらそうとしています。そして国家主義をまん延させ、改憲まで持ち込もうと狙っているのです。それは同時に、パククネ前政権を打倒したろうそく革命のような闘いが、日本の労働者民衆へ波及することへの恐怖でもあります。
かつて戦争と植民地支配でばく大な利益を上げ、戦後再び韓国に進出した戦犯企業は、韓国政府が作成したリストで299社にのぼります。現在も日本の財界の中枢に君臨するこれらの大企業こそ、日本の労働者を非正規職に突き落とし、低賃金・過重労働で過労死に追い込んでいる張本人です。そして安倍政権はその代理人なのです。
11月3日、東京・日比谷野外音楽堂で開催される全国労働者総決起集会は、民主労総ソウル地域本部と共催する国際共同行動の一環です。渦巻く怒りの声をここに結集し、日韓労働者の共通の敵である安倍政権に「NO」を突きつけましょう。そして労働者が主人公となった新しい社会をめざし、民主労総のような闘う労働組合を今こそ日本の地によみがえらせましょう。
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徴用工とは?
徴用工(韓国の呼称では強制動員被害者)とは、1939年〜45年に日本政府の戦時労務動員政策によって強制的に動員され、強制労働を強いられた人々のことである。
中国への侵略戦争が泥沼化する中、大日本帝国は38年に国家総動員法を制定し、39年から年々の労務動員計画を策定。100万人を超える朝鮮人を日本内地、樺太、東南アジアなどへ連行し、炭鉱、軍需工場、土木工事などの劣悪で危険な現場で奴隷のように働かせた。動員形態は「募集」(39〜42年)、「官斡旋(あっせん)」(42〜44年)、「国民徴用令の適用」(44〜45年)などの形式をとったが、実際には「募集」や「官斡旋」の段階から、警察や行政官僚による暴力的な強制連行が横行した。当時の内務省の文書には、動員計画の達成のため「野良で仕事最中の者を集め、あるいは寝込みを襲ふて連れて来る様な例」「夜襲、誘出、その他の各種の方策を講じて人質的略奪拉致(らち)」などが多数記録されており、関係者の証言も無数にある。
労働現場では、徴用工は十分な食事も与えられず、日本人管理者によるリンチが日常化し、逃亡すれば厳罰に処された。賃金のかなりの部分が「強制貯蓄」させられ、そのほとんどが最後まで支払われなかった。