ハンセン病患者隔離は国家犯罪 戦争と一体の差別政策を許さない

週刊『前進』04頁(3056号04面01)(2019/07/29)


ハンセン病患者隔離は国家犯罪
 戦争と一体の差別政策を許さない


 6月28日、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)は、ハンセン病患者の家族が2016年に提訴した国家賠償請求の集団訴訟で、国の患者隔離収容政策の誤りを認め、原告561人のうち541人に総額3億7675万円の賠償を国に命じた。厚労省・法務省・文科省の誤り、国会議員の法廃止の「不作為」も認めたものだ。患者家族の被害に対して国の賠償を命じる判決は初となる。
 賠償の対象から除かれた20人については、「(差別が無くなったとみなす)02年以降に被害が明らかになったから対象外」とされており、争点を残すものだったが、最終的には原告も被告=国も控訴を取り下げ、判決が確定した。ハンセン病訴訟における患者と原告団が闘いとった勝利といえる。
 今回の熊本地裁判決を受け、参院選を前に危機感を募らせた安倍は、7月12日付けで首相談話を発表し、「政府としてのおわび」と併せて控訴しない方針を打ち出した。だが、これと同時に発表された「政府声明」は、「国家賠償法、民法の解釈の根幹に関わる法律上の問題点がある」などと判決文を批判している。
 ハンセン病患者への隔離収容政策は、日帝の侵略戦争と一体で推進され、戦後になっても継続された国家犯罪である。第2次大戦時の日帝の侵略下における海外ハンセン病患者への補償もいまだ部分的にしか行われておらず、闘いはまだまだこれからだ。

団結し集団訴訟へと発展

 01年5月には、ハンセン病患者本人13人が起こした国賠訴訟でも初の勝利判決(熊本地裁・杉山正士裁判長)が出ていた。「次は家族へ」という機運が高まり、長年「発症予備軍」として見なされながら差別を受けてきた家族が、その暗雲を吹き飛ばす一歩手前まで来ていたのである。
 こうして15年にはハンセン病患者を母に持つ男性が、患者家族として初の国賠訴訟に立った。しかし、一審・鳥取地裁判決と二審・広島高裁松江支部判決はいずれも男性側の訴えを退けており、判断は最高裁判決待ちとなっている。
 だが、この訴訟の一審判決で「患者家族への偏見や差別を除去する責任が国にはあった」との指摘がなされたことが、今回の熊本地裁の勝利判決に与えた影響は大きい。二審・松江支部では「隔離規定は家族を標的としていない」と後退したが、患者家族による国賠訴訟の闘いはさらに拡大し、全国から560人を超える集団訴訟へと発展。この団結の力こそ、今回の熊本地裁判決をかちとる勝因となった。

患者を「国辱」とした日帝

 ハンセン病訴訟とは、昔からある「癩(らい)」「レプラ」と呼ばれる感染症の一つをめぐる訴訟であり、患者を国立療養所内に隔離してきた国の責任を問う裁判だ。ノルウェーのハンセン医師によって1873年にライ菌が発見され、感染力もきわめて微弱と判明した。ただし冷温・不衛生・栄養不足などで抵抗力の弱い時に発症するといい、顔や皮膚の変形が伴うことが差別拡大の一因となった。
 日本帝国主義は日清・日露戦争を足がかりに列強と並ぶ帝国主義国へとのし上がり、その過程で1907年に「癩(らい)予防に関する件」という法律を制定した。それまで患者のほとんどは家族と暮らし、放浪した場合でも温泉地や寺など治癒を求めての旅だったが、国と医学界、皇族は「放浪者には隔離が必要」と断定して患者の隔離収容政策を開始したのである。
 日帝政府は「ハンセン病は国にとって不名誉であり恥辱である」とする「国辱論」をあおり立て、「民族浄化」を掲げて31年に「癩予防法」を制定、隔離対象を患者全体へと拡大した。その結果、4万人近くが国立療養所に収容された。40年の「皇紀2600年」には「無癩県運動」や「癩根絶20年計画」が叫ばれ「すすんで療養所に行くべし」との標語も使われた。
 日帝の隔離政策は戦後も維持された。43年に米国で開発・使用されたプロミンという特効薬も日帝は使わせなかった。戦後憲法下でも隔離法は廃止されず、53年制定の「らい予防新法」で全員隔離政策を温存した。「第2次無らい県運動」が始まり、ハンセン病を苦に一家心中する事件は戦後も続いた。療養所内からは施設内での断種・特別看護室での虐殺に抗議する幾多の患者決起が起こった。WHO(世界保健機関)などの勧告もあり、このらい予防法が廃止されたのは、96年であった。
 戦争と一体の隔離収容政策はけっして過去のものではない。改憲・戦争阻止の闘いの巨大な発展をかちとり、安倍打倒の11月労働者集会へ攻め上ろう。
(関東障害者解放委員会)

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■熊本地裁判決の骨子
・国のハンセン病患者への隔離政策が家族への差別被害を生じさせた
・厚生相と厚生労働相は、隔離政策を廃止するなどの義務に反して違法・法務相は、らい予防法が廃止された96年から01年末まで偏見差別を除去する義務に反して違法
・文部相や文部科学相は、偏見差別を除去する教育が実施されるようにする義務に反して違法
・国会議員は、予防法の隔離規定を廃止しなかった不作為について違法

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