終わりではなく始まり 再審弁護団・主任弁護人 岩井信さん
週刊『前進』02頁(3045号01面02)(2019/06/20)
終わりではなく始まり
再審弁護団・主任弁護人 岩井信さん
4月22日に医療センターで接見をしました。星野さんは私に、「みんなが近くにいる気がするよ」と言いました。4月17日の夜に突然、徳島刑務所の医務から呼び出され、「今年3月のエコー検査に異常があるから明日移監する」と言われたということでした。
驚いたのは、星野さんが徳島から東京へ10時間以上かけて車で連れて来られたことです。手錠をずっとかけられたまま、トイレは車内での簡易トイレだったと。想像を絶する非人道的な扱いです。
センターの医師から、非常に肥大したがんがあるとの説明があったそうです。「車の移動で破裂するかもしれなかったということですか!」と思わず言うと、星野さんは「でも、こうしてみんなの近くに来られたんだよ。これはこれまでのみんなの闘いの積み重ねによるものだよ」と。
5月28日の手術の翌日、容体が急変したという連絡が入りました。昼は和久田修弁護士が駆けつけ、夜は私が向かいました。私が着く前に暁子さんと誉夫さんが面会できましたが、医師の説明はなく、ただ10分間、文昭さんと会えただけです。
医師に説明をしてもらおうと門前のロープの内側に入って行くと、刑務官がだーっと来て「ロープの外に出ろ」と。私は「文昭さんは今、生死の境をさまよっているんだ!」と大声で怒鳴りました。すると刑務官がだだだっと来て2列に並び、デモ隊が機動隊と対峙(たいじ)しているかのようでした。こちら側は、三多摩の支援者を中心に15人か20人いたと思います。
最終的に医療センターはこちらの申し入れを聞き入れ、暁子さんらに医師が、文昭さんが今晩にも亡くなる可能性がある、血圧が低くなって、輸血ではなかなか難しいという説明をしたと聞きました。
「そうであれば一晩、暁子さんがそばにいて文昭さんの手を握って、暁子さんの生命力を伝えさせてくれ、これは医学的に必要な力だ」と、私は再び刑務官に申し入れました。その結果、一晩、医療センターの中の弁護士控え室で暁子さんと誉夫さんが待機することになりました。次の日は3回の面会もできました。
星野さん。昨年夏、腹部の激痛に襲われ、急に視界がぼやけて、血流が逆流する感じで倒れましたね。その時、徳島刑務所は1日病舎で休ませただけで、胃カメラ検査で「異常なし」とし、「胃けいれん」で片付けたわけです。
暁子さんをはじめ私たちは原因究明の検査、外部の病院での検査などを要求してきましたが、徳島刑務所は一切応じてきませんでした。今年3月のエコー検査も、仮釈放不許可の結果を伝えた後、4月17日になって、ようやく異常が発見されたと言ってきたわけです。腫瘍(しゅよう)を巨大にしたのは、検査せず、無視した徳島刑務所をはじめとする当局の責任です。私たちはこの責任を追及し、再審を続け、再審無罪に向けて真実を明らかにしていきます。
今日は終わりではなく、始まりです。「みんなが近くにいる気がする」と、星野さんは、最初の接見の時に言いましたね。私たちは、暁子さんと共に、あなたと共に闘っていくことを誓います。(6月8日)