星野再審貫徹・権力犯罪告発へ 怒りの大運動起こそう 全生涯かけた闘い引き継ぐ

週刊『前進』02頁(3041号01面01)(2019/06/05)


星野再審貫徹・権力犯罪告発へ
 怒りの大運動起こそう
 全生涯かけた闘い引き継ぐ

(写真 星野文昭さん)

最後まで格闘し

 5月30日午後9時44分、星野文昭さん(73)はその生涯を閉じた。28日の肝臓がん切除手術後、翌朝から危篤状態に入った星野さんは、最愛の妻・暁子さんとともに最後の最後まで命をつなぐための必死の闘いをやりぬいた。それは、沖縄をはじめとする労働者民衆の解放を求める闘いに全生涯をかけてきた星野文昭さんの姿そのものだった。
 日帝権力は、70年安保・沖縄闘争を最先頭で闘った星野さんを、無実を百も承知で「殺人犯」にでっち上げ、44年間も獄中に閉じ込め続けた。さらに、がん発症の事実をもひた隠しにして釈放を拒否し、一切の治療を放棄したまま4月18日になってようやく医療刑務所(東日本成人矯正医療センター)に移した。その時点でがん細胞はすでに14㌢×11㌢と肝臓の5割を占めるまでに大きくなり、がんの進行Ⅰ〜Ⅳ段階のうちの「ステージⅡ〜Ⅲ」まで進んでいた。そして5時間もの大手術とその後の50時間を超える壮絶な格闘の末に、ついに星野さんの命は絶たれた。
 星野さんの命を奪ったのは日帝権力だ! これは超重大な国家犯罪であり、その証拠はあまりにも明白である。絶対に容赦することはできない。
 星野さん解放をともに闘ってきた全ての人々、さらに全ての労働者民衆に訴えます。起きたことはあまりにも悔しく、悲しいが、涙にひたっているわけにはいかない。星野さんを殺した日帝権力を満身の怒りを込めて告発し、虐殺の責任を徹底的に追及する闘いに直ちに、全力で突入しよう。
 さらに、星野さんが自らの無実と沖縄闘争の正義を明らかにするため全生涯をかけて貫いた闘いを断固として引き継ぎ、星野再審闘争をあくまで闘いぬき、必ず勝利をもぎとろう。

権力による虐殺

 最も許せないのは徳島刑務所と四国地方更生保護委員会だ。彼らは、3月4日のエコー検査によって星野さんが肝臓がんであり、しかも病状が進行して危険が迫っていることを完全に知っていた。にもかかわらず検査結果を星野さんに伝えず、弁護団の開示請求をも拒否してひた隠しにしたまま仮釈放不許可の決定を下したのだ。
 星野さんは1年前には56㌔あった体重が47㌔に激減し、食事も満足にはとれない状態だった。だが徳島刑務所は、硬くて食べられないご飯を柔らかいご飯に変えてほしいという星野さんの切実な要求をも無視した。そして4月17日になって初めて、3月のエコー検査の結果に異常があり、医療センターに移監すると通告。翌18日になんと星野さんに手錠・腰縄を付けたまま、10時間もかけて車で東京まで移送した。
 これは重度のがん患者に対するあからさまな医療拒否であり、まさに殺人行為以外の何ものでもない。そこには、今日の沖縄闘争と星野闘争との結合の進展に恐怖し、星野さんの無実の訴えと闘いを圧殺しようと全体重をかけてきた日帝権力・安倍政権中枢の、極悪の意志が貫かれている。徳島刑務所はその手先となって行動したのである。

闘魂に応えよう

 星野さんはしかし、こうした権力の凶暴な攻撃にもひるむことなく最後まで正面から立ち向かった。医療センターへの移送とそこでの精密検査・手術を、星野闘争の発展が獄死を狙う敵の攻撃を打ち破ってもぎとった一つの「成果」ととらえ、センターの医師を獲得し信頼して、困難な大手術にも強い決意で臨んだ。
 最後の闘いは、センターを管理する当局・法務省と星野さんの家族・弁護団・支援者との激しい攻防となった。センター当局は当初、手術時の家族の待機も認めず結果を直ちに家族に知らせることも拒否した。暁子さんら家族が病室に入り、文昭さんと直に対面して励ますことができたのは危篤状態に入ってからだ。文昭さんの手を暁子さんが握ると、文昭さんも強い力を込めて握り返した。最後の2日間、獄壁は実質的に打ち破られていた。
 命の火が燃え尽きる最後の瞬間まで闘って闘って、闘いぬいた星野さんの闘魂に応え、全ての労働者民衆がその遺志を引き継いで闘う時だ。その第一弾として6・9国鉄集会に結集し、日帝・安倍政権への怒りをたたきつけよう。星野再審全国連絡会議が呼びかける7・5法務省包囲の大デモに総決起して闘おう。

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星野さんの通夜と葬儀告別式

通夜    6月7日(金)午後6時~7時
葬儀告別式 6月8日(土)午前10時30分~12時
場所 光明院観音ホール(杉並区上荻2―1―3、荻窪駅西口北側徒歩3分)

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