自衛隊の事故隠しを糾弾 国家賠償裁判 池田元3等空曹が証言

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週刊『前進』04頁(3040号04面02)(2019/06/03)


自衛隊の事故隠しを糾弾
 国家賠償裁判 池田元3等空曹が証言


 5月22日、名古屋地裁民事7部(前田郁勝裁判長)で自衛隊国賠裁判の原告、池田頼将元3等空曹の証人尋問が始まりました。今回も愛知、岐阜、三重を始め東京、埼玉、静岡、大阪などからかけつけた支援者が傍聴席を満杯にしました。

違法隠す山室証人

 裁判は、池田さんの後輩でクウェートでの通信隊業務で同じクルーだった山室隊員の証人尋問から始まりました。
 山室は、最初の供述書では池田さんに有利なことを書きすぎた、裁判が始まり検事が来て大げさに書いた部分を書き換えることになり一緒に完成させたのが「乙83号証」だと証言。池田さんが新潟救難隊で隊長を訴えた話も検事に聞かされ「間違った方向に向かう流れを止めたい」と供述を書き換えたというのだ。
 しかしこんな証言で負傷や自衛隊の違法行為をなかったことにはできません。

国に責任とらせる

 いよいよ池田さん本人に対する原告側弁護団の尋問です。池田さんは次のように証言しました。
 「イラク復興支援」のために派遣されたクウェートで2006年7月4日、米軍大型バスにはねられた。この事故後、首、肩とあごが痛み、思うように食事がとれなかったことを自衛隊の医官に訴えた。上司に帰国の希望を伝えたが断られた。小牧基地に帰ってから公務災害の手続きが進んでおらず不安になった。夜もあごの痛みなどで眠れず、精神科にも通った。そこで「反復性心因性うつ病、不眠症」の診断書を西塚小隊長に見せた。しかし西塚小隊長だけでなく三輪隊長からも「うつ病が公務災害になるはずがない」とつき返され、完治したことにしろと言われた——など。これが任務でけがした隊員への対応なのかと思わざるを得ない証言が続きました。
 翌年異動した新潟救難隊でも、自衛隊の事故隠しが続いたとのことです。
 2010年には、自衛隊の幹部が連れ立って「公務災害での療養給付をこれ以上続けると不正受給にされる」と脅し、医者にも圧力をかけて「症状固定」の診断書を書かせた。
 その後、後輩隊員から暴行を受けたが、新潟救難隊の鮫田隊長など幹部は「池田、お前が悪い」と決め付けた。警務隊に通報した池田さんは通信隊から庶務班に異動させられた。そこでは、けがや体調のことは全く気遣われず、炎天下での草むしりなどを一人でやらされたりした。
 暴行事件のもみ消しのために中部航空方面隊司令の木戸1佐まで来て「示談」を迫った。「1佐は雲の上の存在で、言われたことは命令と一緒。断れば居場所がなくなる」と追い詰められた。その後も異動の約束が2度も踏みにじられ退職を余儀なくされた。
 池田さんは「何度も何度も裏切られて身も心もボロボロになりました」と自衛隊を糾弾し、「けがをせず、早く帰国できていればこんなことにはなっていません」と違法行為の責任を国にとらせる決意を声を振り絞って訴えました。

団結し改憲阻止を

 裁判後の報告会には25人が集まり、「改憲阻止は自衛官と労働組合の課題だ」と裁判闘争の意義が熱く語られ、池田さんが「次は5月28日、自分に対する国側の反対尋問です。傍聴をよろしく」と訴えました。
 安倍政権が狙う憲法への自衛隊の明文化は、隊員を戦場に送り込んで隊員の命も労働者市民の命も国家に差し出させるものです。自衛隊裁判は、戦争を止める力が労働者と兵士の団結の中に生み出されることを示しています。
(池田裁判をともに闘う会代表・坂野康男)
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