窪寺誠同志を悼む マルクス主義の信条を貫き機関紙活動に全力を傾ける 革共同茨城県委員会
週刊『前進』04頁(3030号04面04)(2019/04/22)
窪寺誠同志を悼む
マルクス主義の信条を貫き機関紙活動に全力を傾ける
革共同茨城県委員会
3月5日、革共同茨城県委員会の県委員として組織建設の最先頭に立ってきた窪寺誠同志が逝去した。享年63であった。
かけがえのない同志を失った悲しみの中で9日、親族、友人、同志が集い葬儀を執り行った。友人を代表して峯信男ユニオンいばらき委員長、石井真一動労水戸委員長、東京西部の友人を代表して田中れい子さんがお別れの言葉を述べた。
杉並の拠点を守り
茨城県委員会は、窪寺同志の遺志を継ぎ、地区党の総力で2019年決戦の勝利を闘い取ると誓います。窪寺同志は1955年に東京都中野区に生まれた。彼が中学生の時にとび職だった父が亡くなった。学費をアルバイトで賄うなど苦労して都内の工業高校に通いながら、神田青果市場に勤め、労働組合運動に参加した。その闘いの過程で杉並革新連盟を知った。
1973年、学生服と下駄履きで革新連盟の門をたたき、76年に杉並共同購入の会事務局員となった。革共同の拠点地区・杉並をめぐるファシスト・カクマルとの戦いの最先頭に立ち、革共同東京西部地区委員会に所属した。90年天皇決戦を闘い、5月テーゼを全面的に支持した。1992年、茨城の地に着任し、部落解放運動の発展に力を尽くした。
県党の機関紙闘争の責任をとり、県西部地区の党と階級的労働運動の建設を指導した。
窪寺同志は第一に、生涯を共産主義者として真一文字に革命の道を貫いた。生活のすべてが闘いであった。生きる信条はマルクス主義であり、日頃から学習を欠かさなかった。党活動の3原則を生きる規範とした。とりわけ『共産党宣言』の新訳本を常に持ち歩き、1人でも候補がいればマルクス主義学習会をやろうと提起し実践した。
労働運動の実践者
第二に、階級的労働運動を実践した。県党の一員となった直後、解雇撤回闘争を指導し労組を結成。2008年の岡崎組争議を通して県西地域合同労組を仲間と共に結成し、執行委員会の定期開催、組合財政の確立、11月労働者集会や国鉄闘争への参加など、労組としての基本的な活動に取り組んだ。第三に、「機関紙闘争の鬼」となって闘い、全党に檄(げき)を飛ばし続けた。機関紙担当者に就任して以来、担当者を組織し、県内の機関紙配布網の建設に全力をあげた。「機関紙をいかに取り扱うのかに党の生命線がある」とよく言っていた。
機関紙を含む党の財政闘争においても原則的で戦闘的だった。中小企業の労働者であった同志には「一時金が出ないこと」を見越して、毎月の賃金から積み立て、半年ごとのカンパ決戦に備えた。
第四に、2015年7月に末期がんの宣告を受けてから3年半にわたる闘病は壮絶なものだった。党活動と労働を継続するため、あらゆる可能性を追求した。必要な医療費を明らかにし、自分の信条を述べてカンパを呼びかけた。毎月の窪寺カンパが県内の各細胞会議での習慣となった。入院しないで地区で活動することを最優先した彼は、昨年12月21日に入院するまで、第一線で闘い抜いた。
同志の存在と生き方は県党の誇りである。革命的共産主義運動は、窪寺同志のような存在と闘いによって形成されている。結成から60年、革共同は青年学生の党へ大きく飛躍・変革しようとしている。窪寺同志の遺志を引き継ぎ、確信をもって進もう。