全学連は皆さんに訴えます
全学連は皆さんに訴えます
改憲、天皇制、大学改革、オリンピック----四つのテーマについて、全学連はこう考えます。ぜひ議論し、意見交換しましょう!
改憲
戦争のための改憲とめよう
安倍政権は「2020年までに改憲を目指す」として、現在急ピッチで改憲攻撃を進めています。最大の焦点は「憲法への自衛隊明記」です。安倍首相は「自衛隊員が認められ、誇りを持つためだ」と主張していますが、憲法に9条の2を追加して自衛隊を明記し、「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」を規定した9条の1項と2項を無効化するものです。さらに「憲法上の義務」として戦争協力を推進する道を開こうとしています。全学連は、これは日本が再びの戦争国家への道を歩むものであると考え、改憲阻止へ行動します。
そもそも、日本は軍事費でいえば世界8位(2017年)。そして、世界中に基地を展開し、一国で全世界の軍事費の3割を占めるアメリカと安保同盟を結ぶ「強国」です。戦後ずっと、日本は東アジア全体に軍事的重圧をかけてきた側であり、朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争などに際して米軍の出撃・兵站(へいたん)基地であり続けてきたのが実態です。憲法9条を大事に考えているとしても、「日本は平和国家だ」というイメージにだまされてはなりません。
経済危機が激しくなる中、どの国も資源や市場の独占を目指して対立を深め、第3次世界大戦すら遠い未来の話ではなくなっています。安倍首相の軍事強化路線・改憲も、今の世界情勢を背景にしています。
では、資源や市場を奪い合う戦争でこの問題は解決されるのでしょうか。それは解決ではなく、悲惨な犠牲の押し付け合いを伴う対立構造の再編でしかありません。
ではどうするか。労働者民衆が国際的に団結し、経済の分け前をめぐって対立する支配者たちを打倒することが戦争を止める道です。
ベトナム戦争の時には、世界中の労働者や学生がストライキやデモに立ち上がり、アメリカを侵略戦争の継続が不可能なところにまで追い込みました。沖縄では基地の労働者がストライキに立ち上がって基地機能を止め、実際に爆撃機が出撃できない状況まで生み出しました。
基地であれ軍隊であれ、動かしているのは人間です。団結すれば、私たちは本当は戦争すら止めることができるのです。そのためにもまずは、各国の反戦運動が自国政府の戦争政治と対決する行動が必要です。
改憲・戦争に対抗する最先頭に立っているのが沖縄の闘いです。2月24日の沖縄県民投票における辺野古新基地反対派の圧倒的な勝利はそれを象徴的に示しています。
全学連は利権をめぐる戦争に絶対に反対し、改憲阻止へ闘います。ともに行動していきましょう。
天皇制
人の上に立つ天皇いらない
5月1日の「天皇代替わり」を前に、メディアでは連日、天皇家の動向が報道されています。全学連は、「貴なくして賎(せん)なし」という言葉に示されるように、天皇制とは、「貴」をつくることで人間の本来的な平等性・普遍性を否定するイデオロギーの体系化・物質化としてあると考えます。そして何より、天皇制とは軍国主義のシンボルであり、大学も含めて労働者民衆を支配階級の利益のために動員し、アジアの民衆を虐殺した歴史を負っています。明治維新以降に形作られた近代天皇制は最初から民衆の精神を縛りつけるイデオロギー装置として出発し、徹底して欺瞞(ぎまん)に満ちあふれたものでした。
戦後、天皇は「皇軍」の頂点でありながら戦争責任から逃れ、「象徴」として生き残りました。しかも昭和天皇は1947年9月、側近を通じてひそかにGHQ(連合国軍総司令部)にメッセージを送り「米国が長期にわたり沖縄を軍事占領し続けることを希望している」と伝えて沖縄をアメリカに積極的に売り渡したのです。本土における憲法9条の制定によって支配階級が戦争を反省したかのように見せながら、沖縄に米軍基地の矛盾を押し付けた過程にも天皇が深く関わっていたのです。
全学連は、歴史を真摯(しんし)に受けとめ、二度と悲惨な侵略戦争に大学・学問が加担しないために天皇制に決着をつける必要があると考えます。現在、安倍政権のあまりの右翼性の前に、現天皇を「リベラル」として持ち上げる風潮があります。しかし現天皇は即位時に昭和天皇を受け継ぐことを宣言し、その戦争責任に言及したことなどないのです。安倍政権が「ムチ」ならば天皇は「アメ」にすぎません。同じコインの表と裏なのです。
「天皇代替わり」は天皇制の強化プロセスです。なぜ象徴にすぎないはずの天皇の「お言葉」で法律がつくられ、それを国民全員で祝福しなければならないかのような空気がつくられているのでしょうか。しかも新天皇即位は5月1日、メーデーであり、労働者の闘いの日です。天皇がブラック企業をなくしてくれるでしょうか。広がる経済格差に対抗してくれるのでしょうか。天皇制に反対し、5月1日は全学連とともにメーデーに参加することを、すべての学生に訴えます。
オリンピック
2020年東京五輪は中止を!
2020年東京オリンピックは、その誘致の過程からふざけたものでした。安倍首相はIOC(国際オリンピック委員会)総会において、福島の汚染水問題をめぐり「状況はコントロールされている。これまでも、これからも健康被害は出ない」と述べ、東京開催の安全性を強調しました。実際には汚染水問題は何一つ解決されておらず、小児甲状腺がんが2011年の3・11福島第一原発事故後から8年で230人を超えて発見されるなど、深刻な状況が福島にはあります。予防原則に基づいた医療体制の拡充、保養や避難を保障する制度の確立が必要です。
「復興五輪」と銘打たれていますが、建設資材や人員が東京に集中した結果、東北地方の復興が置き去りにされているのが実態です。オリンピック誘致をめぐる裏金疑惑では、JOC(日本オリンピック委員会)竹田会長が辞任に追い込まれました。
予算は膨張し続け、当初予定の4倍以上となる3兆円を超えることは確実視されています。投入される資金はゼネコンや電通などの広告産業に回り、運営には競技者自身の意向など少しも反映されない仕組みになっています。
あらゆる意味でオリンピックはもはや「スポーツの祭典」ではなく「利権の祭典」であり、「国威発揚」のためにメダルの数を競い合わせ、国家間・民族間の対立を助長するものとしてしか機能していません。
オリンピックの金もうけ主義は、学生をもターゲットにしています。オリンピックを運営するために必要とされる10万人を超えるボランティアの多くを学生で確保する方針が出されています。猛暑の期間に約10日間、宿代や交通費の補助も一切なく、ほとんどタダ働きさせるというのです。国家規模の「やりがい搾取」と言わざるをえません。学費の高騰や非正規職の増加による格差の拡大が学生にも広がる中、当然ながら学生ボランティアが集まるわけがありません。そのような状況を受け、昨年には文科省が大学に、年間スケジュールの変更やボランティアに単位を認定するよう通達を出しました。学生の立場につけこんだあくどい方法です。
全学連は、欺瞞に満ちあふれた2020年東京オリンピックは今からでもやめるべきであると、はっきり主張します。
大学改革
私たち学生は商品ではない
「大学の役割は民間企業と同じだ。原材料を仕入れ、加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけて企業に出す。これが産学連携だ」
これは2005年、私立大学の連合組織「21世紀大学経営協会」の総会席上での発言です。1980年代以来40年近くにわたって、行政改革の一環として「大学改革」が進められてきました。最近では、17年12月の内閣府「総合科学技術・イノベーション会議」で上山隆大慶応大学教授が提出した資料では、「『投資に見合うリターン』を生み出し......『知識産業』へと脱皮する必要がある」とまで言われています。
このような流れの中で今、大学は「就職予備校化」への道を進んでいます。私たちは、大学をGDP(国内総生産)創出の道具とする大学改革に激しく反対し、行動します。
「大学改革」の大きな転換点となったのは、04年の「国立大学法人化」です。この制度は「目標・計画の設定や定期的な業績評価といった仕組みをつうじて国の意思を法人運営に反映させうる」(自民党文教部会報告)ものとしてつくられました。その柱は、①大学の運営計画への文部科学省評価を基に運営費交付金の分配を決定する、②「経営協議会」創設など、大学の人事・予算権への産業界・官僚の直接介入、③学長の権限強化(教授会自治や学生自治の形骸化)が挙げられます。こうして、教育と学問の商品化・私物化が推し進められたのです。国立大学でのこの制度のスタートとともに先述の「21世紀大学経営協会」もつくられており、両者は一体のものだと言えるでしょう。
この時期、全国大学で学生自治寮や学生管理のサークル棟など、「学生自治の砦(とりで)」が次々と破壊されていきました。大学の最大の構成員であり主役である学生側の抵抗を押しつぶして、大学改革は強行されていったのです。
立て看板やビラまきなど学生活動への規制強化、学費の高騰、就職活動への傾斜、果ては研究資金欲しさの軍事研究の開始......結局のところ、大学改革の本質は戦前と同じです。それは、大学・学問を社会全体のためのものとすることではなく、国家・産業界の利益に奉仕させることです。
改憲と一体で戦争国家をつくり、モノ言わぬ「商品」として学生を「加工」する、このような道の先に学問の未来があるとはまったく思えません。
全学連は世代を超えて、この学生自治破壊に対して必死に闘ってきました。現在、京都大学がその最前線の激突点です。
今こそ学生自治を復権させ、大学・学問を取り戻すべく行動していきましょう。