団結ひろば 投稿コーナー
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大行進・東部が錦糸町デモ
東京東部 武田 透
2月9日、大雪が予想される中、改憲・戦争阻止!大行進・東京東部は「だからこそやろう」と錦糸町デモに立ちました。朝方の雪もやみ絶好のデモ日和に。
既成野党がのきなみ改憲に対して武装解除し、安倍が施政方針演説で「大和心」を叫び、改憲へ前のめりになる中で、沖縄のストライキに応えようと呼びかける下町デモです。
墨田区の錦糸公園を出発したデモは、JR錦糸町駅を大きく周回していきます。教育労働者、自治体労働者、学校で働く労働者ら3人の女性労働者が交代でコールです。道行く人々もビラを受け取り注目しています。お父さんと一緒の子どもが「安倍はやめろー」と応え、中学生が「がんばってくださーい」と声をかけていきます。
大行進・東部は、この間6回の「憲法講座」で学習・議論を重ねてきました。「憲法とはなにか」「改憲と教育」「改憲と天皇制」「改憲と沖縄」「改憲と働き方改革」「改憲と入管法改悪」、そして次回は「改憲と自衛隊」です。
安倍は韓国国会議長の「天皇が謝れば解決する」という発言に、「不適切で遺憾だ、謝罪を求める」といきり立ちながら、何が「不適切」で、なぜ「遺憾」なのか、まったく言及することができません。天皇の戦争責任、日帝の侵略と植民地支配に触れざるをえないからです。
統一地方選・天皇代替わり・オリンピックもすべて使って改憲に突進する安倍を、大行進運動の一層の拡大でうち倒そう。
低空飛行説明会に抗議ビラ
東京東部ユニオン 島田哲生
1月20日と21日、国土交通省による羽田空港低空飛行ルート「説明会」が、江戸川区の都営新宿線船堀駅前と東大島駅で開かれた。
いずれも住民が一堂に会するのではなく、参加者を一人ずつにし、パネルの前で個別に職員がインチキな説明をくり広げるものだ。団結した抗議を封じ込め、騒音・事故の危険性を覆い隠して「充分な説明をした」として飛行を承認させようというのだ。その証拠に、国交省はパネル式の「説明会」は大々的に宣伝しながら、区と区民が要求して実現された「教室型の説明会」の方はまともに周知しないまま、極少人数でこっそりすませている。
長い闘いでかちとられた「海から入って海へ出る」航空機の飛行ルートを一方的に踏み破った都心低空飛行は絶対に許せない。しかも、江戸川区と江東区の上空の騒音は、高度は高くても離陸時の噴射で着陸時と同じことを職員は認めた。
東大島駅で下車する住民のほとんどが出口で国交省のパンフレットを手にしたが、静かな住宅街の頭上を飛行機が飛ぶことすらわからない状態だ。私たちが「あれは飛行機を飛ばすという説明会。これは〝飛ばせるな〟のビラです」と言って渡したビラを見て初めて内容を知り、「真上を飛ぶのか」と怒る。
その中で、船堀でも東大島でも国交省を鋭く激しくする住民が現れ、交流も始まった。東大島ではあわてた国交省が警察を呼んで排除しようとしたが、ビラは次々と受け取られた。さまざまな会話から、行動を起こす人も生まれた。
戦争体験聞き改憲阻止誓う
改憲・戦争阻止!大行進三多摩実行委員会 内田晶理
改憲・戦争阻止!大行進三多摩実行委員会は2月11日、東京・武蔵野市内で「空襲体験者が語り継ぐ戦争の姿」と題する学習会を行い、初参加者を含め45人が参加し成功しました。
お話は、静岡大空襲を体験した元小学校教員の浦田よしえさんです。
1945年6月20日未明、137機のB29が静岡市内に大量の焼夷(しょうい)弾を投下。街が一夜にして焼き尽くされ、2千人が犠牲になりました。
市内の叔母の家に来ていた浦田さんは、警戒警報で防空壕(ごう)に避難しようとした際に一人はぐれてしまい、逃げ惑う人々とともに浅間山へと逃げました。3日後にようやく見つけた叔母は、防空壕の入り口でいとこを抱いたまま亡くなっていました。しかたなく遺体をリヤカーで河原まで運び、トタンの上で火葬したそうです。
「(山に逃げた際)倒れた子に火がついた。でも助けちゃいられない。見殺しにして逃げました」「(河原では)泣いている人はいません。身内を焼く。こんなに切ないことはない」----これが戦争の現実です。
浦田さんは「国は何もしてくれない」と強調。「戦争は絶対やってはいけない。自分の頭で考えないで『ああそうですか』と言っていると戦争になる。戦争やりたいのは財閥。国会が何やっているか、安倍が何を言っているかしっかり見て考えて」と参加者に訴えました。
質疑討論は大いに盛り上がりました。最後に行動方針を確認し、参加者一同、「二度と戦争は許さない」と心に誓いました。