加害の歴史隠すな 「徴用工」は日帝の犯罪(下) 「65年協定で解決」は大うそ
加害の歴史隠すな
「徴用工」は日帝の犯罪(下)
「65年協定で解決」は大うそ
賃金は強制貯金され払われず
前回述べたとおり、戦前・戦中に日本政府と企業は国内の労働力不足の解消のために、植民地統治下の朝鮮人民を日本に強制連行し、炭鉱や鉱山、港湾など過酷な重労働の現場で強制的に働かせた。それは「徴用というより人さらい」(三井鉱山労務係長)という、国家総ぐるみの暴力と脅迫、犯罪行為であった。このようにして強制的に連れてこられた朝鮮人民は、日本国内でどのような処遇を受けたのか。前号に続き労働現場の実態を見る。
長崎の三菱鉱業高島炭鉱(高島坑と端島坑)には戦時期に推定4千人の朝鮮人が連行された。
キムソンオクさんは忠清北道の出身。1942年に約40人の集団の一人として端島坑に連行された。最初の2年は採炭、後の2年は運搬や枕木の作業をさせられた。足を縫うけがをし、背骨が変形した。酸欠で死にかけたこともあった。宿舎は8畳ほどの部屋に朝鮮人6〜7人が詰め込まれた。食事は豆かすやイワシで、それも次第に減らされ、体が動かなくなった。
ソジョンウさんは43年に慶尚南道から連行された。当時、14歳だった。端島坑では、腕立て伏せの体罰やケーブル線による殴打などの暴力的脅迫を受け働かされた。高い堤防から海を見つめ、投身自殺すら考えた。逃亡者も出た。その後、三菱長崎造船所へ転送され、そこで原爆投下を受け被爆した。
ユンチュンギさんは43年に全羅北道から端島坑に連行された。17歳だった。1日3交替で働かされ、低い天床の下での仕事だった。3人1組となり、1日の採炭ノルマはトロッコ10台以上とされた。粗末な食事で、同じ村から来た仲間は餓死した。賃金の3分の1は強制貯金させられ、3分の1は故郷へ送金すると言われたが、帰国してみると送金されていなかった。
酷使の中、休めば拷問・半殺し
三池炭鉱(福岡・熊本)は明治以来、囚人労働で知られる。炭鉱のすぐ近くに明治政府が「三池監獄」をつくり、昭和初期まで囚人2千人をそこで働かせた。戦争中は労働力不足と石炭増産の必要から9千人の朝鮮人が強制連行された。連行者用の建物は「寮」とは名ばかりの強制労働収容所であり、奴隷労働を強いられた。暴行・拷問などが日常的に頻繁に行われた。
金東玉さんは42年9月、14歳の時に三池三川坑に送られた。このとき同郷の地から100人が連行された。待遇は戦況が悪化した43年以降にとりわけひどくなった。4〜5㍍の柱を枕にして10人が寝、朝になると監督がその柱をたたいたが、頭が割れるようだった。落盤で7〜8人が犠牲になった。内臓が破裂したり、手足がちぎれたり、頭が鉄板のように平たく割れている死体を見て怖くて耐えられなかった。日本語を話せたことから同郷の人に頼まれ、朝鮮人飯場の知り合いに頼んで6〜7人の同僚を逃がしたが、金さんは捕らえられ、竹刀で殴られ半殺しにされた。
李康元さんは、43年4月に釜山から連行された。収容された寮は有刺鉄線で囲まれていた。地下の奥深くで働かされ、死者が出た。休むと寮の事務所に連れて行かれ、ムチで殴られ、割竹の上に座らされひざに重い石を載せる体罰も行われた。「このままではどうせ死ぬ。いずれ死ぬなら、逃げよう」と逃走した。宮崎・熊本・鹿児島と渡り歩き、8・15は飛行場の工事現場で迎えた。
こうした過酷な労働監獄のもとでも、朝鮮人や中国人(捕虜)の労働者の、解放を求めての怒りの抵抗闘争は不屈に闘いぬかれた。各地の炭鉱・鉱山で実力闘争・ストライキが頻発し、それが戦後革命の重要な一翼を形成するに至るのである。(参考資料‥竹内康人著『明治日本の産業革命遺産・強制労働Q&A』『調査・朝鮮人強制労働①炭鉱編』社会評論社ほか)
日本政府は謝罪も償いも拒否
旧日本製鉄(現在の新日鉄住金)や三菱・三井資本は、戦争に負けると、未払い賃金や強制貯金も支払わずに労働者の首を切り路頭に放り出した。そして強制連行・強制労働の責任が追及されることを恐れて関係資料を焼き捨てた。日本政府はこうした企業に「朝鮮人・中国人を使用して損害を受けた」として、補償金を支払った。なんと政府は労働者を無保護で路頭に投げ出す一方、戦争で大もうけした企業にさらに大金を分け与え、手厚く保護したのである。
日本政府と新日鉄・三菱重工業などの資本家どもは戦後一貫して今日に至るまで、謝罪も償いも拒否し、それどころか、36年間の朝鮮植民地支配の歴史を「合法・正当」と開き直っている。日韓条約の交渉が行われていた1953年10月、韓国側が36年間の植民地統治に対する損害賠償の請求権に言及したところ、日本側首席代表の久保田貫一郎は「日本は植林し、鉄道を敷設し、水田を増やし、韓国人に多くの利益を与えた」と開き直り、朝鮮人民の怒りを買って交渉は一時中断した。64年12月には財界出身の日本側首席代表・高杉晋一が再び、「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとしたのだ」と言い放った。これが今日に至る日本政府・支配階級の恥知らずな「強盗の居直り」、骨の髄まで腐りきった帝国主義者どもの主張である。
それゆえに65年に結ばれた日韓条約は、36年間の朝鮮植民地支配に対する言及や謝罪の言葉などは一切盛り込まれなかった。日本政府は「賠償ではなく経済協力だ」と言って、クーデターで成立した親日派のパクチョンヒ軍事独裁政権に有償無償5億㌦を供与。パクチョンヒは韓国の人民の闘いを血の弾圧で抑えつけて条約締結を強行し、5億㌦を独裁政権の維持・強化に使った。またこの資金は、浦項製鉄所建設や高速道路建設などに使われ、日帝企業の南朝鮮への再侵略のてことなった。「徴用工」とされた人たちは、当時は賠償どころか声を上げることすら許されなかったのだ。軍事独裁政権の打倒後、1990年代に入って、韓国人民の中から日本政府・企業に賠償を求める闘いが新たに始まったのはまったく当然なのである。
謝罪も賠償も日本政府が拒否したまま、何ひとつ行われていない。安倍政権の「65年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み」という主張は、36年間の朝鮮植民地支配を「合法・正当」とし、そのもとで行われた朝鮮人民への犯罪行為のすべてを居直るものである。それは、日韓請求権協定では「個人の請求権は消滅していない」という日本政府の過去の見解(91〜93年国会答弁)にも反している。絶対に許してはならない。
安倍政権は朝鮮植民地支配の歴史をめぐる開き直りの上に、入管法改悪により大量の外国人労働者を「現代の徴用工」として導入し「奴隷労働」を強制しようとしている。それは戦争につながるものである。4月改悪入管法の施行を粉砕しよう。徴用工、軍隊慰安婦問題など日帝の植民地支配責任、侵略戦争責任を追及する韓国の労働者人民の闘いと固く連帯して闘おう。安倍政権の改憲・戦争の攻撃を阻止し、日韓労働者階級の国際連帯闘争を力強く発展させよう。