市東孝雄さんの最終意見(抜粋) 天神峰と南台の農地は私の命 「強制執行は認めない」判決を
市東孝雄さんの最終意見(抜粋)
天神峰と南台の農地は私の命
「強制執行は認めない」判決を
9月27日に千葉地裁で行われた市東孝雄さんの農地を守る請求異議裁判の第9回口頭弁論での、市東さんの最終意見(抜粋)を掲載します(編集局)
◆農地は私の命です
私はこれまで自分の仕事に誇りを持って生きてきました。今も、試行錯誤しながら有機野菜のための土壌を作っています。天神峰と南台の農地は、そうしてできた私にとっての命です。
そこで育つ野菜を、本物だと認めてやってくる消費者家族がいます。私たちと消費者が、生産と食を相互に保障し合う、提携関係が結ばれています。
空港会社は、私の農地をただの土地だと思っています。農業なんてどこでもやれると見下しています。農業よりも空港の方が社会に役立つと決め込んで、空港のために農地を差し出せ、カネを積むから出て行けという態度です。
だが、それは全くの間違いです。
農地はただの土地ではありません。人が試行錯誤を重ねて、農業のための土壌として作り上げるものなのです。私の畑は、私の有機農業を実現するために長い年月をかけて作った農地です。他にはない、かけがえのない農地なのです。
また、安全な食料を十分に満たすための農業は、社会にとって絶対に欠くことができません。農業はまさに、命をつなぐ〝生命産業〟です。これ以上の公共性があるでしょうか。
私の野菜作りは、大正時代から100年間耕し、有機の土壌として作り上げた、天神峰と南台のあの畑でしかできません。それが人々の健康と命をつないでいます。あの畑は私の人生であり生きがいです。
空港会社は、私が農業をやめると決め込んで、離作補償を示し、同じような農家収入の150年分の補償だから、百姓をやめて出て行けという態度です。そして裁判では、まともに反論せず、「強制的手段の放棄」の事実をねじ曲げて空港会社を勝たせた多見谷判決と同様に、裁判所に任せておけば大丈夫だという態度を続けてきました。
これは私の精いっぱいの訴えと法廷そのものを侮辱するものです。私は憤りを抑えることができません。
◆よねさんへの代執行とどこが違うか!
空港会社が取り上げようとしているのは、不利益を受けて解放されなかった小作地です。しかし、この畑もまた農地法で守られてきました。うちは地代を欠かさず支払ってきたし、地主も信義を守ってきたと思っています。
これを変えたのは空港公団です。父東市に秘密で売買し、地代をだまし取ったあげくに空港会社が地主だと名乗り出て、私を「不法耕作」呼ばわりして、出て行けという。出ていかないなら機動隊の暴力で取り上げるというのです。
私の農地の7割以上が、畑で育つ野菜と一緒につぶされます。祖父の代からの汗と涙、これまでの私の努力が重機の下に押しつぶされ、二度と野菜はできません。思っただけで、悔しくて涙が出ます。
私は今、高瀬裁判長が下す判決いかんで、47年前の小泉よねさんと同じ地点に立たされようとしています。「もう二度と繰り返さない」「強制手段は放棄する」と謝罪し世間に公約した以上、私への強制執行は絶対に許されません。
◆〝権利濫用〟を訴えた証言と補佐人陳述
証人と補佐人の訴えは、大きな力になりました。
農地法を無視して秘密裏に買収して明け渡せというのは、まさに「よねさんから強奪した手法を踏襲」するものです。強制執行は「産直の会」を存続できなくさせ、共同生産者と約400軒の消費者家族の暮らしを台無しにします。
私は、この裁判で闘ってきたことは、私だけでなく、東峰地区や近隣住民、農業つぶしの農政の中で頑張る農家のためにもなることだと強く感じています。
◆「強制執行は認めない」との判決を求めます
私はあくまでも天神峰と南台で私の畑を耕し、絶対に動かない。農地を取り上げる強制執行は、私にとって死刑と同じです。この裁判は、私にとって命がけの闘いです。「農地取り上げの強制執行は認めない」との判決を強く求めます。