動労水戸、ゴアレーベン訪問 被曝労働拒否に集まる共感
動労水戸、ゴアレーベン訪問
被曝労働拒否に集まる共感
8月下旬、動労水戸の代表団がドイツを訪問しました。ベルリンの北西約200㌔に位置し、核廃棄物の中間貯蔵施設と最終処分場建設に反対して闘うゴアレーベンの仲間たちと交流した木村郁夫書記長、西納岳史書記に同行しました。(本紙 佐々木舜)
8月22日、ベルリンから鉄路でゴアレーベンの最寄り(といっても50㌔離れています)駅へ。反対同盟前委員長のケアスティン・ルーデックさんが車で出迎えてくれました。
ゴアレーベン到着後、夕食をごちそうになったミュッツィンゲンという場所のピザ屋さんは、仕事帰りの労働者や子ども連れでにぎわっていました。ここは住民が反核闘争の集会場としても使っているところだそうで、テーブルの周りには闘争を紹介する写真パネルが並べられていました。
子どもたちのデモ隊の写真に注目した木村書記長が反対同盟スポークスパーソンのヴォルフガングさんに「先生が子どもたちを誘ってデモに参加するんですか?」とたずねると、「みんな生活の中で『原発はだめだ』ということを感じとって、自主的に参加するんですよ」とのことでした。
地域ぐるみの団結生み出す反対同盟
滞在2日目の朝は、輸送と暖房を除けば地域のエネルギー需要を100%満たしているという巨大な風力発電機が立ち並ぶエリアへ。なんと、「風車に上りましょう」というのがケアスティンさんの提案です。
説明と案内をしてくれたのは、2年前に動労水戸が訪独した際にもお世話になったというディーターさん。軍手を借りたら心の準備をする間もなく出発です。ディーターさんとケアスティンさんは慣れた様子で、風車の中の垂直のはしごを上っていきます。約140㍍の頂上からは、遠くまで連なる風力発電機や、畑に水をまくスプリンクラーの下にできた小さな虹が見えました。
その後は、反対同盟の事務所と資料館を見学。反対同盟の仲間たちは、三里塚での「周辺一斉行動」のような行動を何十年も継続しています。
専従の青年・トーヴェンさんによれば、地域のカフェや街角にビラや月刊誌、バッジなどを置いてもらい、彼が毎週車で回って補充しているのだそうです。立ち寄ったカフェにも反対同盟のコーナーがありました。「全ヨーロッパ・全世界規模で原発を止めるという大きな構えを持ちつつ、地域にていねいに入っていっているのがすごい」と西納さん。
資料館では、1977年以来人生をかけて反核運動を闘ってきた住民たちの記録や数々のポスターなどが集積・展示されています。住民たちが激しく権力と激突しながらもユーモアを忘れず、創意工夫をこらし、朗らかに闘ってきた歴史にふれることができました。
その日の夜はケアスティンさん宅の庭でバーベキュー。元教育労働者のイングリッドさん、ヴェルナーさん夫妻が話しかけてきました。退職後に移住してきたというお二人は、写真集をつくりゴアレーベンの闘いを全世界に広めている活動家です。イングリッドさんがプレゼントしてくれたのは、反対同盟の事務所がある町ダンネンベルクで、福島原発事故以来、毎週月曜日に一度も欠かすことなく継続している福島との連帯行動の写真をまとめたもの。日本の運動にかける期待も伝わってきました。
動労水戸の闘いに大きな信頼と注目
2012年から3回も来日してともに闘ってきたゴアレーベン現地の仲間たちは、動労水戸が被曝労働を拒否し、東京オリンピック反対を掲げて労働者と住民を守る闘いに立ち上がっていることに大きな信頼と共感、注目をよせています。 今回出会った反対同盟メンバーに西納さんが動労水戸の常磐線全線開通反対署名を提起すると、誰もが攻撃の激しさに驚き怒るとともに快く応えてくれ、多くの署名が集まりました。
福島第一原発から水戸市までの距離はわずか100㌔ほど。そうした中で、組合員の家族も甲状腺異常と闘っていることを知ったケアスティンさんが「動労水戸は結成当初から東海第二原発に反対して闘ってきたんですか?」と質問。木村書記長が「そうです」と答えると、深くうなずいていました。彼女は今回、地元紙に動労水戸の闘いの紹介も含めた記事を投稿してくれました。
自らの手で新たな社会をつくる挑戦
ゴアレーベンの運動を貫いているものは、自分たちの闘いはゴアレーベンというひとつの地域だけの闘いではないという信念、そして社会を動かす労働者人民の力で地球上からすべての核と原発をなくし、新たな社会をつくろうという壮大なスタンスです。
最終処分場の建設予定地(現在は工事を中断に追い込んでいる状態)の前に設置されている大きな年表には、茨城・東海村のJCO事故も、3・11福島第一原発事故も共通の記憶として書き込まれています。3・11後のデモは「フクシマは警告する」「フクシマはどこでも起こりうる」を掲げて闘われています。
ゴアレーベンの運動の強さと原則性は、政府の政策や議員にではなく、国境を越えてつながる労働者人民の力に依拠して闘っている点にあります。現地でアートフェスタを開くなど、若い世代を巻き込むためのさまざまな取り組みも行っているそうです。
今回の訪独を通じて、ヒロシマ・ナガサキ、そして3・11福島原発事故を経験してきた日本での闘いのもつ位置が改めて鮮明になりました。被曝労働拒否・全原発廃炉の闘いは全世界を獲得し変革します。国際連帯を力に改憲・核戦争攻撃を打ち破りましょう。