知る・考える 用語解説 柳条湖事件―中国侵略のため日帝が仕組んだ事件

週刊『前進』02頁(2974号02面04)(2018/09/20)


知る・考える 用語解説
 柳条湖事件―中国侵略のため日帝が仕組んだ事件


 1931年9月18日に中国東北部の奉天(現瀋陽)郊外に位置する柳条湖で日本軍が起こした線路爆破事件。この事件が、中国東北部への日帝の侵略=「満州事変」の号砲となり、45年の敗戦まで続く中国全土への侵略の突破口をなした。
 日帝は19世紀末以降に台湾と朝鮮を植民地化し、続いて中国大陸、とりわけ豊富な資源を有する東北部と内モンゴルに目をつけ、侵略の機会をうかがっていた。こうした中で31年4月、陸軍中央部の師団長会同の場で、「帝国の国策」として武力行使による満蒙占領の方針が示された。
 そして、日本の租借地であった関東州と南満州鉄道(満鉄)の警備を名分として創設された陸軍部隊「関東軍」は、柳条湖で満鉄線を爆破。これが中国軍のしわざであるとでっち上げて国内外に宣伝し、「自存自衛」を掲げて現地における軍事行動を開始したのだ。天皇も勅語を発し、関東軍の行動は正義の戦いだとして追認した。
 中国軍を奇襲した関東軍は主要都市を次々と占領。32年2月までには全満州を占領し、3月1日には清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を名目上の執政(後に皇帝)とする「満州国」の建国を宣言した。日帝はその後、37年7月7日の盧溝橋事件を機に侵略戦争を中国全土に拡大し、45年の敗戦に至ることとなる。
 日帝はこの謀略事件の真相を敗戦後も隠したが、55年に当時の中将らの証言が世に出て否定できなくなった。
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