9・1関東大震災と朝鮮人虐殺 この歴史を繰り返してはならない

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週刊『前進』02頁(2972号02面01)(2018/09/13)


9・1関東大震災と朝鮮人虐殺
 この歴史を繰り返してはならない

(写真 警察の指示で結成された自警団。竹やりで武装している)

(写真 9月1日に行われた「関東大震災95周年朝鮮人犠牲者追悼式典」には700人が集まった【東京都墨田区】)

虐殺犠牲者の追悼を拒否

 東京都知事・小池百合子は昨年に続き、9月1日に横網町公園(墨田区)で開催された関東大震災95周年朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を拒否した。
 発端は、自民党都議・古賀俊昭による昨年3月の都議会一般質問だ。古賀は、朝鮮人犠牲者追悼碑に刻まれた「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」という文言を「事実に反する一方的な主張」「(日本人への)ヘイトスピーチであり、到底容認できない」とし、追悼文送付の再考と追悼碑撤去を求めた。
 古賀は「朝鮮人虐殺はなかった」とまで主張する極右レイシストだ。当時、早くも地震発生の数時間後には、軍と官憲による「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こした」などというデマが各地に広められた。しかし、古賀はこのデマをデマではなく「事実」と言いはり、「こうした世相と治安状況の中で日本人自警団が過敏になり、無関係の朝鮮人まで巻き添えになって殺された」のだから「虐殺ではない」と朝鮮人虐殺を正当化している。
 小池は都知事の権力を使って、古賀の発言にお墨付きを与えたのだ。絶対に許すことができないヘイトクライムそのものだ。
 震災直後、当時陸軍被服廠(しょう)跡地だった横網町公園には、4万人もの避難民が詰めかけた。そこに1日夕刻から烈風にあおられた火災が隅田川を越えて到達、3万8千人がその猛火の中で焼死する大惨事となった。古賀らは、この火事をも「朝鮮人による放火」と主張するのだ。
 今、なぜ歴史を偽造するのか。改憲と戦争をもくろむ安倍政権を後ろ盾に、労働者階級に分断を持ち込もうとしているからだ。

3・1独立運動に恐怖し

 関東大震災後、6千人を超える朝鮮人、700人もの中国人が虐殺された。  虐殺は、東京だけでなく、神奈川、千葉、埼玉、群馬、茨城など関東一円に拡大した。さらに亀戸警察署を舞台に労働運動幹部らが殺害される亀戸事件も起こった。
 「1日の夕方、大井町では往来に日本刀や鳶口(とびぐち)、ノコギリなどを持った人々が早くも現れ、『朝鮮人を殺せ』と叫び始めた。......親しい日本人たちが血相を変えて飛び込んで来る。大変なことになっている、外に出たら殺されるぞ、私たちがなんとかするからじっとしていてくれ」。12人の同胞とともに飯場で暮らし、大井町のガス管敷設工事の現場で働いていたチョンソクピルは、その夜、「警察に行こう。そうしなければお前たちは殺される」と、警官と兵士、近所の日本人たちに守られて品川署に向かった。しかし「大通りに出ると、地域の自警団が喚声をあげて襲いかかってきた」という。(加藤直樹著『九月、東京の路上で』26㌻)
 2日には戒厳令が布告され、総員6万4千の陸軍兵力と軍艦150隻が東京一帯に配置された。横浜には横須賀の海軍部隊が到着したが、生存者を助け出そうともせず、「朝鮮人暴圧」のために巡回する。時の政府は何を恐れ、救える命を見捨てたのか。
 日本は1910年に韓国を併合、朝鮮総督府の「土地調査事業」で耕作地を奪われた朝鮮人が生きるために来日し、23年には在日朝鮮人は8万人を超えた。
 日露戦争から17年ロシア革命へ、その波はアジアに及ぶ。18年のシベリア出兵は日本軍7万3千人を投入したが5千人が戦死。日本国内では米騒動が巻き起こった。
 19年3・1独立宣言から抗日闘争が朝鮮全土に広がった。鎮圧指揮に向かった朝鮮総督・斎藤実と政務総監・水野錬太郎は、ソウルに立った途端、姜宇奎(カンウギュ)烈士の投げる爆弾に見舞われた。
 その水野が内務大臣として大震災後の「不逞(ふてい)鮮人掃討」を指揮した。出動した軍は、朝鮮やシベリア出兵では村を焼き払うような対ゲリラ戦闘を経験していた。そして、自警団として組織された労働者民衆の多くが、朝鮮人への民族的蔑視と共に、戦場に駆り出された恐怖体験を共有していた。近代日本は常に戦時下にあった。

分断を許さず戦争阻もう

 9月3日、南葛飾郡大島町(現・江東区)の工場などで働く中国人労働者300人以上が、亀戸・大島・砂町など各地で虐殺された。軍や警察などが中国人宿舎を訪ね「金を持っているやつは国に帰してやる」と連れ出し、近くの空き地で待ち構えた自警団が鳶口、竹やりなどで中国人を虐殺するという計画的犯行だった。不景気になり、賃金未払いが続出する中での中国人虐殺だった。
 中国人留学生・王希天は、この地域の中国人労働者のために震災前年9月に「僑(きょう)日共済会」を設立、診療所や夜間学校を開いて賃金不払いに抗議し、ブローカーとの交渉にも乗り出していた。
 震災後、中国人労働者の被災状況を確認しに大島町に向かった王希天は、そのまま消息を絶つ。彼が軍隊に殺され、中川に捨てられたことが判明したのは70年代になってからだ。
 9月1日、横網町公園では、震災後に中国から届けられた幽冥鐘が今年も中国人の手で打ち鳴らされた。
 小池は、大震災に乗じて行われた朝鮮人・中国人虐殺の歴史を抹殺し、安倍と共に新たな侵略戦争へと踏み出そうとしている。そのために労働者人民を分断し対立させたいのだ。
 逆に、民族・国籍・国境を越えた労働者の国際連帯、共同闘争こそが戦争を阻む道だ。改憲・戦争阻止!大行進運動で安倍・小池を打倒しよう。

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