繰り返すな戦争 日帝のアジア侵略 第3回 朝鮮人100万人を強制連行 戦争のため炭鉱などで酷使

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週刊『前進』02頁(2970号02面01)(2018/09/06)


繰り返すな戦争
 日帝のアジア侵略 第3回
 朝鮮人100万人を強制連行
 戦争のため炭鉱などで酷使


 明治以降の日本の歴史は近隣諸国への侵略と戦争の連続であり、とりわけ最も筆舌に尽くしがたい苦難を背負わされたのは朝鮮の人民であった。「大日本帝国」は、朝鮮への侵略と植民地支配を不可欠の条件としてのみ、アジアで唯一の帝国主義国家へとのし上がり、その侵略を中国へと拡大することができたのである。今回はその侵略の一端を、朝鮮人強制連行(戦時徴用工)の問題に焦点を当てて見ていきたい。

民主労総が徴用工像建立

 「動員朝鮮人2600人の名簿/松代大本営建設など従事」(信濃毎日新聞6月22日付)----アジア・太平洋戦争末期の1944年11月、敗色濃厚にもかかわらず「国体護持」=天皇と支配階級の延命だけを目的に戦争を継続していた日本帝国主義は、連合国軍との「本土決戦」に備えて東京の大本営や政府機関を長野県松代町(現長野市)に移転することを計画し、地下壕掘削工事を命令した。この危険かつ過酷な突貫工事を担わされた約7千人の朝鮮人徴用工のうち、2600人以上の名前や出身地、生年月日などが記された名簿の存在が今年6月、新たに明らかになった。これまで松代大本営の徴用工の名簿は78人分しかなく、それ以外は名前も出身地もその後の消息すらもわからないままにされていた。
 このように、1939〜45年に朝鮮半島から強制連行された徴用工の存在は、今日まで政府による賠償も実態調査も行われず、歴史の闇に葬られてきた。1965年に朴慶植の著書『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)がその実態を衝撃的に暴露して以降、各地で在日朝鮮人や市民団体による真相究明活動が続き、近年も外村大氏の『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)などの著書が出されているが、いまだに全容解明には至っていない。
 他方、韓国では、民主労総や韓国労総を中心とする「強制徴用労働者像建立推進委員会」が「徴用工像」の建立を進め、昨年8月にソウルで除幕式を行った。直後の労働者大会で民主労総のチェジョンジン委員長代行(当時)は、「強制徴用労働者像はただの象徴ではない。親日を清算し、ゆがめられた歴史をわれわれ労働者こそが立て直すという宣言だ」と発言。日帝による歴史歪曲と新たな戦争を絶対に許さない韓国民衆の固い決意を代弁した。
 ところがムンジェイン政権は今年5月、釜山の日本総領事館前に設置された徴用工像を警察権力を使って撤去した。この暴挙に激しい抗議の声が上がっている。今や徴用工問題は、日韓労働者の国際連帯にとっても重大なテーマとして浮かび上がっている。

「奴隷狩りのように連行」

 「1939〜45年までに、日本に徴用されたもの100万人、朝鮮国内で動員されたもの450万人、軍人・軍属37万人、計約600万人が戦争にかり出された。このうち、軍人・軍属であったものは、1953年現在で22万人が復員したが、約15万人は不明である。......徴用されて、炭坑や飛行場などで死亡したものは、日本本土内だけで最低にみつもっても、6万人はいる」(朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』)
 朴慶植以後の調査や研究でも、朝鮮から強制連行された徴用工は100万人を下回らないとみられる。旧大蔵省の不十分な資料ですら、39年以降「労務動員計画」で日本に連行された数は72万4千人超を記録し、その半数近くが炭鉱に動員されている(表)。
 強制連行は、中国侵略戦争の泥沼化の中で38年に制定された国家総動員法に基づき、年々の動員計画を策定し各地に動員数を割り当てて実行された。朝鮮総督の秘書や政策顧問を歴任した人物は次のように回想する----「納得の上で応募させていたのではその予定数に中々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早晩、突如男手のある家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中にトラックを回して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした」(鎌田沢一郎『朝鮮新話』)。
 朴慶植の前掲著では、同様の証言は「なおいくらでもあげられる」として、他にも労務報国会動員部長だった日本人が「警察特高係とともに指定部落を軒なみにたずね、働けそうな男を物色し、奴隷狩りのように連行した」と語ったことなどを列挙している。
 こうして行き先も告げられず連行された朝鮮人は、最も危険で過酷な炭鉱や鉱山、土木工事などに集中的に投入された。北海道の美唄(びばい)炭鉱では約7千人が徴用され、44年の爆発事故では死者109人のうち80人以上が朝鮮人だったとの証言もある。そこでの朝鮮人徴用工の処遇は次のように記録されている。
 「寄宿部屋には厳重な囲いをほどこし、封建的奴隷労働さながらの鉄則にしばられていた。リンチはところかまわず加えられる。例えば炭車が脱線すると、それを一人で直すことができないと腰が抜けるほどたたくなどは日常茶飯事であった」(美唄炭鉱労働組合編『炭鉱に生きる』)

戦後革命の最先頭で決起

 だが、どれほど卑劣な弾圧や虐待が加えられようと、労働者が虐げられたまま忍従することなどありえない。敗戦直後に日本で爆発した戦後革命において、朝鮮人や中国人の労働者は最先頭で決起した。
 先に見た三菱美唄炭鉱では、45年9月に朝鮮人・中国人労働者が蜂起し、日本人労働者とともに労働組合を結成して闘った。三菱美唄の朝鮮人・中国人労働者は、中国で抗日武装闘争を戦った中心部隊である「八路軍」の軍律を自らの規律とし、過酷な条件下を生き抜いたという。日本で戦後革命を闘った多くの徴用工は朝鮮に帰ってからも労働運動の先頭に立った。今日の民主労総に連なる朝鮮プロレタリアートの闘いの一つの原点がここにある。
 今、日帝・安倍政権は27万人以上の外国人労働者を「技能実習生」として導入しているが、彼らの多くは低賃金・長時間労働で酷使され、パスポートや在留カードの取り上げといった人権侵害を受け、労災死の多発する現場や福島の放射能汚染地域での除染作業などに動員されている。まさに改憲・戦争と一体で進められる「現代の徴用工」だ。
 国境を越えた労働者の団結で今こそ安倍を倒そう。

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(表)朝鮮人労働者強制連行の状況(単位/人)

年度 計画数 石炭山 金属山 土建 工場その他 計 
1939 85000 34659 5787 12674 53120
1940 97300 38176 9081 9249 2892 59398
1941 100000 39819 9416 10965 6898 67098
1942 130000 77993 7632 18929 15167 119721
1943 200000 68317 13763 31615 14601 128296
1944 400000 82859 21442 24376 157795 286472
1945 50000 797 229 836 8760 10622
1062300 342620 67350 108644 206113 724727

旧大蔵省管理局の資料「日本人の海外活動に関する歴史的調査」(1947年)をもとに作成。なお、以前から上記の職場で就業していて退職・転職を禁止された「現員徴用者」の数は含まない

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訂正

 2968号2面で「1931年9月19日の柳条湖事件」とあるのは「9月18日」の誤りでした。

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