小山衛一同志をしのぶ 遺志継ぎ三里塚闘争勝利へ
小山衛一同志をしのぶ
遺志継ぎ三里塚闘争勝利へ
7月28日、千葉市のDC会館で、三里塚現地闘争本部主催による「小山衛一同志を偲ぶ会」が開かれた。小山同志は昨年末に胃がんが発見され、闘病・療養しながら活動を続けていたが、快復かなわず6月7日に亡くなった。享年68。
現闘の同志が司会進行を務め、黙禱(もくとう)を行った。続いて、小山同志の活動を記録したビデオが上映された。三里塚集会でカメラを携えて報道写真を撮り、一斉行動では市東孝雄さんとともに周辺地域を回り、堪能な韓国語を駆使して韓国・民主労総の労働者たちを現地案内し、訪韓闘争では生き生きとコールを上げる姿などが映し出された。
三里塚現闘の代表が主催者としてあいさつした。小山同志が1981年から『週刊三里塚』の編集に携わり、文筆力に長け多くの文章を書いたこと、死の直前まで周辺地域の住民の組織化に奔走したことなど、小山同志の業績を紹介した。さらに三里塚芝山連合空港反対同盟の伊藤信晴さん、動労千葉の田中康宏委員長が、小山同志の闘いをたたえ、勝利を誓った。革共同の天田三紀夫書記長は遺志を継いで改憲阻止闘争と三里塚闘争の勝利のために全力で闘う決意を表明した。さらに革共同の鎌田雅志同志らがあいさつした。
供花が添えられた遺影に一人ずつ献花を行った。民主労総を三里塚現地に迎えた時に撮られた小山同志の写真は、こぶしを握り希望に満ちた笑顔。
反対同盟婦人行動隊の宮本麻子さんの音頭で献杯を行った。(写真)
反対同盟の北原健一さんは、「小山君が編集責任をとっていた『週刊三里塚』は、本当にすばらしい新聞。小山君の遺志を継ぎ、私も未来をつくるため共に闘う」と涙にむせびながら語った。
小山同志の娘さんをはじめ3人の家族が、感謝の気持ちと故人の思い出を語り、参加者の心を温めた。
最後に「反対同盟の歌」を全員で熱唱し、小山同志の闘魂を胸に「農地死守」をあらためて誓い合った。