池内伸男同志を悼む 現場を信じ職場の組織化へ執念燃やした労働者革命家 革共同東京三多摩地区委員会

週刊『前進』04頁(2951号04面03)(2018/06/25)


池内伸男同志を悼む
 現場を信じ職場の組織化へ執念燃やした労働者革命家
 革共同東京三多摩地区委員会


 労働者革命家としてその生涯を終えた池内伸男同志の葬儀が6月8日、しめやかに行われた。享年81。三多摩地区委員会は彼の遺志と情熱を継承し、プロレタリア革命の遂行を誓う。
 池内同志は1970年代を青年労働者として反戦闘争を闘った。現場に固執し、90年代にニュータウン交通のタクシー労働者として労働争議を闘い、八王子の地区労運動を戦闘的にけん引した。ときあたかも5月テーゼが出され、党の路線的転換を実践する同志として地区党に再結集した。

ユニオン指導、建設

 ニュータウン交通の解雇撤回闘争は地区労の中心的闘争となり、社前闘争や会長宅包囲デモで多くの労働者を結集させ、連合足下の官公労や民間労組の戦闘性を組織した。その実績から池内同志は、地区労傘下のユニオンでの闘いを指導し、多くの争議を闘った。
 当時のユニオン運動は体制内的な戦術主義に走り、金銭解決で組合組織を維持するものに変質していたが、池内同志は党としての路線性を貫き、地区労の指導部との党派闘争を闘った。たとえ排除されようとも、革共同の労働運動路線を堅持しぬいた。地区労のユニオンと決別して以降は、東京西部ユニオンの建設や合同労組八王子(現・多摩連帯ユニオン)の建設に尽力し、階級的労働運動を生み出していった。
 退職してからも労働運動を指導し続けた。2010年の多摩バスでの解雇争議で私鉄総連の体制内性を弾劾し、15年のダイエー八王子支店の閉店解雇攻撃に対しては、UAゼンセンの裏切りを糾弾しつつ、現場労働者と共に闘った。

国鉄闘争をけん引

 最晩年は、街頭に一人でも立ち続け、国鉄署名活動をけん引した。彼の集めた署名は数百筆に達し、国鉄闘争と11月労働者集会への組織化を地区の先頭で担った。街頭で多くの労働者を組織しながらも「街頭ではなく職場で組織すべきだ」と言い続けた。厳しい現実に決して負けることなく、孤高に闘う彼の姿は、困難に直面する地区の労働者同志を無言で叱咤(しった)激励したのであった。
 80歳を過ぎてもその戦闘精神は最後までついえることがなく、3・25改憲阻止大集会には、がんの治療中にもかかわらず参加し、組織した青年労働者と共に闘った。そして「次の目標は6・3高松闘争だ」と仲間に話し、がんの痛みに耐えながらも、病床からあらゆる手段で組織化を行っていた。
 しかし、池内同志は高松闘争の当日に不慮の事故で亡くなった。燃えるような革命への意志と行動力が燃え尽きたのだ。三多摩地区委員会は偉大な同志であり革命の指導部を失った。しかし彼の思いを全面的に受け止め、前進する決意だ。
 池内同志は最後まで「普通の労働者がストライキを打つのだ。労働者を信じるべきだ」と自らのニュータウン交通のストライキの経験を力説していた。我々は労働者党建設を希求していた革命家・池内同志の遺志と共に、安倍の改憲を阻止し、革命を実現する!
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