知る・考える 用語解説沖縄戦-血の教訓〝軍隊は住民を守らない〟

週刊『前進』02頁(2950号02面05)(2018/06/21)


知る・考える 用語解説
沖縄戦-血の教訓〝軍隊は住民を守らない〟


 第2次大戦末期の1945年3月26日、沖縄県南西部の慶良間諸島に米軍が上陸してから、9月7日に日本軍(陸軍第32軍)が降伏するまで、沖縄全土を戦場として戦われた地上戦。第32軍の組織的戦闘は6月23日の同軍司令官・牛島満中将の自殺をもって終わったが、牛島はその直前に徹底抗戦を命令し、降伏を認めなかったため、住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な戦闘がそれ以後も続いた。
 戦後の沖縄県の調査によると、第32軍の戦死者数6万6千人弱に対し、沖縄県民の死者数は民間人だけで9万4千人以上、軍に動員されて「防衛隊」や「戦闘協力者」とされた人の数を合わせると、総死者数は17万8千人を超え、当時の沖縄県民の3人に1人が死亡したことになる。
 沖縄戦がこれほど甚大な被害をもたらしたのは、天皇と軍部が沖縄を「捨て石」とし米軍の本土上陸までの時間稼ぎを狙ったからであった。45年1月20日の帝国陸海軍計画大綱は、沖縄に米軍が上陸した場合には「極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且ツ敵航空基盤ノ造成ヲ妨害ス」と決定し、これを受けて第32軍は住民を作戦に総動員し「軍官民共生共死ノ一体化」を強制した。中高生まで学徒隊に動員され、無残な死を強いられた。日本軍は多くの住民に軍命で「集団自決(=自殺)」を強要し、抵抗した者を殺害し、泣き声を上げた乳幼児をも殺した。
 沖縄戦の血の教訓は、「軍隊は住民を守らない」という一語に尽きる。
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