団結ひろば 投稿コーナー
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関空反対掲げ泉佐野市議選
大阪・自治体労働者 A
関西の自治体労働者は泉佐野市議選の中で泉佐野市の自治体職場を回り、民営化絶対反対でともに闘うことを訴えました。
泉佐野で開催した自治体集会では「どうすれば1人を獲得できるのか」という本音の激しい議論をしました。その中でテーマになったのが下水道問題でした。
泉佐野市の下水道は関西空港事業の一環としてりんくうタウンなどの商業地域だけを整備しながら、下水道の普及率は大阪府下で2番目に低いのです。下水道使用料を引き上げ、「使用料が払えないから下水道の整備に反対する」という声も出るほど住民を追い詰め分断し、行政の一切を金もうけの道具に変えてきたのが市長の千代松です。
しかし千代松による職員の賃金カットや民営化に対して、自治体労働者も住民も市長室に押しかけるなど激しく闘ってきました。それは8期にわたって市議を務めた故国賀祥司さんと労働者市民の関空絶対反対の旗があったからだと思います。
選挙結果は本当に悔しかったし、われわれ以上に悔しがっている住民がいます。それだけ自己解放的に全力で闘ったからです。住民との格闘の中から闘う路線を豊かにし、さらにその路線を貫いて闘うことで、千代松の分断攻撃を打ち破る団結を生み出したと思います。
「千代松倒せ!」で981票
東京 大空 茜
「1票を争う選挙になる」と言われていましたが本当にその通りになった選挙でした。私は「選挙のために休みがほしい」と勤務希望をして5月10日〜12日、関西の皆さんと泉佐野選挙戦を闘いました。そこで感じたこと、学んだことを述べたいと思います。
まず国賀さんの支持者のほとんどの方が「あの方にはお世話になったのよ」とおっしゃっていました。反対に、他候補の宣伝のために登場した千代松市長が国賀さんを罵倒だけして帰ったことも、言った内容も実に許しがたいものですが、それだけ国賀さんが市議会で闘っておられた証拠ですし、誇らしく思いました。
選挙事務所の中は、お互いを助け合い信頼し合いながら、常に明るく笑い声がこだまするような雰囲気でした。中川いくこ候補も自らご飯をよそったりスリッパを並べたり、誰よりも動かれていて本当にすごいなと思いました。
また住宅街へ出向き路地を練り歩いたり、3〜5分おきに車を降りて1日10カ所以上もスポット街宣をやるなどの宣伝方法は斬新でした。やれることをすべてやったからこそ「千代松倒せ!の981票」がつくり出せたのだと思います。
労働組合の代表として中川さんが立候補したからこそ、あんなにも公然と労働者の立場から千代松を批判できた。この選挙戦を通してたくさんの労働者民衆と巡り合えたことが最大の勝利! 関西の仲間たちは私にとって家族のような存在になりました。
泉佐野での生活破壊に怒り
杉並 茅原まり
選挙戦終盤の5月7〜9日、関西の皆さんと共に泉佐野市議選を闘いました。残念で悔しい結果ですが、すがすがしい気分です。
久しぶりに訪れた泉佐野は、かつての豊かな玉ねぎ畑がつぶされ、地場産業のタオル工場の音も消え、大型店以外はシャッターが閉まる。財政ひっ迫と称して公共施設を閉鎖・売却し、生活破壊が伺えました。
風雨の中、団地でのスポット。電車が到着しなければほとんど人が通らない駅頭での宣伝。朝の市役所前宣伝、練り歩き、朝立ち、他候補と競合した南海電鉄泉佐野駅の夕方街宣。その全部に中川さんは先頭に立ち、時に小走りで、元気に明るく情熱をもって訴えていました。
「泉佐野を関空の食い物にさせるな」「関空を戦争に使わせるな」「民営化で街を壊すな。千代松市長を倒そう」「労働組合をよみがえらせ社会を変えよう」「泉佐野から戦争反対の大運動を!」。この訴えは確実に市民の心に響きました。中川さん以外は「空港のおかげで泉佐野の財政は再建した」「空港と共存して社会保障を充実させよう」など地域利権にしがみつくものばかりでした。
新人とはいえ30年間国賀さんと共に闘った中川さんへの期待と信頼は日に日に高まっていきました。宿舎の提供、炊き出しは泉州住民の会の皆さん。「われらの書記長を議会へ」と関西合同労組の若いメンバーたちもドライバーに、ウグイスに大活躍。関西各地から仕事を終えた労働者も駆けつける。日々検証し、新しい試みに挑戦する。「団結が団結を呼ぶ」「ここから始まった」と実感する選挙戦でした。
日大生と「アメフト」で討論
全学連 仲井祐二
街頭宣伝で出会った日本大学の学生と、今、問題になっている「日大アメフト問題」で話をすることができました。
今、日大ではこの問題が話題にのぼらない日はないとのことです。特に、悪質タックルを指示した内田正人アメフト部前監督への怒りや批判を多くの学生が語っているようです。この日大生とも、悪質タックルを指示された日大選手がおかれた状況は新自由主義大学の下で学生が抑圧されている状況を象徴していること、また、日大選手の勇気ある謝罪と大学への告発は学生の重要な決起であると意見が一致しました。
大学・教育がビジネスになり、学生が管理と支配の対象になっていることへの怒りが学生に強く生まれています。
また、内田前監督への日大生の怒りは特別なものがあります。この人物は日大の常務理事で、学長よりも地位が高い実質ナンバー2の存在です(トップは理事長)。彼は、人事権を握り、非正規職を大量に雇い止めにしたり、日大の100%子会社である(株)日本大学事業部の役員としてぼろもうけし、理事長と共に独裁体制を敷いている人物です。当然にも、日大生は理事会への不満や怒りが日常的にあったようです。
今回の事件で、学生や教職員の怒りが噴出して、学生のビラ貼りによる抗議や教職員組合による解雇撤回運動が始まっていることを語ってくれました。
今年は1968年の東大闘争から50年です。東大闘争は日大闘争の現状破壊性・徹底性と結びつき大爆発しました。今回の日大問題も、立て看板問題をめぐる京大生の闘いと軌を一にして学生の反乱をつくりだす重要な闘いになることは間違いありません。全学連も日大生の怒りと団結し、ともに新自由主義大学粉砕の先頭で闘います。