闘いは進む 青年の職場から 闘いの中で仲間が増えていった泉佐野選挙 関西労組交流センター 内村 隆

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週刊『前進』04頁(2945号02面05)(2018/06/04)


闘いは進む 青年の職場から
 闘いの中で仲間が増えていった泉佐野選挙
 関西労組交流センター 内村 隆


 5月13日投開票の泉佐野市議選に、関西合同労組書記長の中川いくこさんを押し立てて、関西の青年も駆けつけて闘いぬきました。結果はあと5票足らない次点で、当選できず悔しいかぎりです。
 泉佐野の選挙の歴史は、関西国際空港(関空)という国策の中で、すさまじい利権のために自民党とやくざが住民を分断してくることに対して、それと闘ってきた歴史です。30年間、故・国賀祥司さんを中心に労働者市民が団結し、関空の軍事使用を許さないと闘いぬいてきました。
 1980年代の選挙では、投票者を特定するために国家権力が投票用紙を押収して指紋を調べるという、とんでもない弾圧もありました。さらに「国賀派」の活動家三十数人を逮捕することもやってきました。しかし、泉佐野の住民は国賀さんを8回も当選させ、関空絶対反対の意思を示し続けて、戦争を止めてきました。この歴史を引き継いで選挙戦を闘いぬきました。
 僕は選挙を通じて、多くの住民の方と話しました。関空の赤字のせいで、泉佐野市は夕張市に次ぐ財政危機に陥りました。千代松市長が赤字を理由に次々と民営化していくことに、住民の中には「仕方がない」という思いもあり、「千代松の代わりは誰がいるんだ」と言われた。
 「千代松の代わりは僕らだ。社会の主人公は僕たち労働者だ。中川いくことともに闘って、社会の主人公になるための選挙なんだ」と訴えられるのかどうかが問われました。住民が闘う主体になることで、その解放性に依拠して闘いぬくことができました。
 また、選挙戦では青年の組織化を勝負点にして闘いぬきました。泉佐野には関西合同労組の分会が四つあります。ここで非正規職の仲間と闘ってきたのが中川いくこさんです。この職場闘争にこそ、関空に押しつぶされそうな青年の現状を変える力があると訴えました。「労働組合に入ろう」と選挙で言いまくり、僕らの日頃の実践、拠点での闘いを伝えました。こうした闘いを通して、選挙をともに闘った一人の青年が、僕たちの団結を見て、関西合同労組に加入し、仲間とともに分会を立ち上げ、闘いを開始しました。闘いの中で、仲間が増えていった選挙戦でした。
 また、関西青年労働者集会実行委員会では、関西生コン支部や港合同などの青年を中心にして、街中を太鼓で練り歩きました。狭い道にも入って行き緊張感もあったけれど、青年の明るさで泉佐野を席巻しました。さらなる団結を固めて、千代松―安倍打倒へともに闘いましょう!
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