三里塚請求異議裁判 2人が証言 農地の強奪許さない 大木よね強制収用を断罪
三里塚請求異議裁判 2人が証言
農地の強奪許さない
大木よね強制収用を断罪
5月24日、千葉地裁民事第5部(高瀬順久裁判長)で、市東孝雄さんの請求異議裁判が開かれ、1971年の小泉(大木)よねさんに対する強制収用の暴力と違法を暴く2人の証人尋問が行われた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・学生・市民160人は、農地死守の固い決意で闘った。
正午、千葉市中央公園で総決起集会が開かれた。太郎良陽一さんが司会を務め、東峰の萩原富夫さんが機能強化を進める成田空港を弾劾し、農地強奪攻撃を打ち破る決意を表した。
連帯発言で動労千葉の田中康宏委員長は、千葉地労委に1047名解雇撤回を求める救済申し立てを行うことを明らかにした。
シュプレヒコールを上げて地裁に迫る市内デモに出発。宣伝カーからは婦人行動隊の宮本麻子さんが、農地を守るアピールを千葉市街に響かせた。
午後2時に開廷。一人目の小泉英政証人は弁護団の質問に答えて、ベトナム反戦運動などを経ながら三里塚に定住し、よねさんの闘いを間近で見たことを語った。よねさんは亡くなった内縁の夫の姓「大木」を名乗り、貧しいが朗らかに反対同盟の一員として闘っていた。71年によねさんの自宅と敷地・田畑が「公共用地の取得に関する特別措置法」で強制収用された! よねさんは東峰に移り住んだが、胆管がんで倒れ73年に亡くなった。亡くなる前、残された畑を守るために英政さん夫婦はよねさんの養子になった。
その後公団は、よねさんへの強制執行について謝罪し、「今後は強制手段をとらない」と表明した。
ところが市東さんの農地法裁判の一審判決で多見谷寿郎裁判長は、「話し合いが頓挫した場合まで、強制手段をとらないと約束していない」と、空港会社(NAA)が言ってもいない主張まで盛り込んだ。そんな解釈はありえない。空港に抵抗する者への「見せしめ」のような仕打ちが市東さんにも行われている。代執行を二度と繰り返させてはならない。NAAは市東さんへの訴訟をすべて取り下げるべきだ、と訴えた。
続いて二人目の加瀬勉証人が証言台に立った。
多古町牛尾で農業を営み、第3滑走路による立ち退きの対象にされている。62年に社会党千葉県本部に就職し、富里空港の時から反対運動に身を投じた。
反対同盟発足当初から三里塚に常駐し、よねさんの生い立ちにふれ、一途な運動への参加を見てきた。
71年9月20日、「今日は代執行中止」と知事が発表し、よねさんが脱穀作業を始めた直後に、執行官、機動隊などが現れた。だまし討ちだった。機動隊は抵抗するよねさんに対して顔面に大盾を打ちつけ前歯を折った。よねさんはすさまじい形相で機動隊をにらみすえた。「代執行はよねさんの精神の根本を破壊した。許せない!」と加瀬証人は声を荒らげた。
そして、市東さんへの強制執行は過ちを再び繰り返すものであり、絶対に許されないと断じた。
最後に「三里塚にこれまで司法の正義があったか。強制執行を認めるな。裁判官としての正義を守れ」と迫った。
証言終了後に弁護団は、学者・専門家証人を採用するよう重ねて要求したが、裁判長はそれを拒み、7月結審策動をあらわにし、「次回6月28日の法廷で萩原さんの証人尋問と市東さんの本人尋問を予定通り行う」として閉廷した。
近くの会場で伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた(写真)。最初に市東さんが「次回の私の尋問では、今日以上に感動を与えるために努力します」と笑顔であいさつした。さらに葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団全員があいさつし、今回の証言が裁判所を一層追いつめたことを確認した。
最後に萩原さんが「次回の6月28日の尋問にも大結集を」と呼びかけ、一日の闘いを締めくくった。