星野さんが先頭で闘った高経大闘争 大学の不正入学、大量処分と闘う
週刊『前進』02頁(2940号02面05)(2018/05/17)
星野さんが先頭で闘った高経大闘争
大学の不正入学、大量処分と闘う
星野文昭さんの闘いの原点は大学の不正入学と闘った高経大闘争です。
高崎経済大学の前身は1952年に開学した昼夜開講の高崎市立短期大学ですが、市当局はマルクス経済学を軸とする授業を嫌い、開学5年で学生の募集を停止しました。そして、東宝争議に米軍を投入した東宝社長・渡辺鐵蔵らを教授に迎えた反共教授会の4年制大学として1957年に開学しました。
市と地方ブルジョアジーによる定員を倍する不正入学生を基盤とした右翼学内支配に対し、学生の論議の中で62年に『前進』読者が現れます。64年の米原潜横須賀寄港反対闘争には高経大生が大衆的に参加しました。
65年の入学試験で教授会がコネ入学を拒否。学生自治会がストライキを実現し、市ぐるみの不正が表面化しました。4月末まで続けたストの後も、大学側の新たな「私学化」攻撃に500人が高崎市議会議場前に座り込み決起しました。(6人の逮捕)
1966年4月に、星野文昭さんが入学してきました。9月学内集会―10月臨時学生大会が開かれました。
67年2月5日に第一次処分で無期を含む停学14人、第二次処分で退学6人など、激しい処分攻撃との闘いが続きました。
映画「圧殺の森―高経大闘争の記録―」は、6月25日の開学記念日から、9月の裁判闘争までを描いています。
星野さんは69年6月全学自治会を再建し、副委員長に選ばれました。自治会室で毎夜議論してビラをつくりました。星野さんは絵が好きで、早朝から立て看板を書いていました。群馬大学の自治会に頼まれて立て看板を書きに行き、学習会も組織しました。大学の寮を回って寮生と熱烈な議論も繰り広げました。
高経大闘争は、全国の大学闘争と70年闘争の高揚の重大な突破口でした。星野文昭さんはその先頭で闘いました。
(高経大OB・伊藤成雄)