崩壊したカクマル組織現実論 60年安保闘争の歴史的地平と3全総に敵対し反革命へ転落

週刊『前進』04頁(2939号03面02)(2018/05/14)


崩壊したカクマル組織現実論
 60年安保闘争の歴史的地平と3全総に敵対し反革命へ転落


 JR東労組(東日本旅客鉄道労働組合)と連合の労働者支配の崩壊が雪崩を打って進行している。カクマル組織現実論の末路であり、動労千葉を先頭とする国鉄決戦が生み出した歴史的情勢だ。このカクマルの反革命的転落は、60年安保闘争の地平と62年革共同第3回全国委員会総会(3全総)への敵対に始まる。逆に3全総は、革命的共産主義運動と階級的労働運動の大進撃の出発点となった。

雪崩打つ東労組の崩壊と闘いの機運

 JR東労組からの大量脱退が止まらない。JRの駅や工場、工務職場で「丸抜け」と呼ばれる全員脱退・分会消滅が続いている。今やJR東資本による第3の分割・民営化=全面分社化・外注化・転籍攻撃との待ったなしの決戦が迫っている。動労総連合が掛け値なしに現場労働者の希望となり結集軸となる時が来た。
 4月28日の連合メーデー中央大会(代々木公園)でJR総連・東労組の組合動員はほぼゼロ化し、惨状を示した。その一方、演壇に並び、安倍と手を組んで改憲・労働大改悪をもくろむ連合会長・神津里季生や連合東京会長・岡田啓(UAゼンセン)、加藤勝信厚生労働相、小池百合子都知事らに対し、現場労働者から怒りの声が上がった。
 5月1日の新宿メーデーの高揚、そして5月3日東京・有明の6万人集会に続く改憲・戦争阻止!大行進の銀座デモは、機動隊の弾圧・規制と右翼の襲撃を粉砕し、2桁の飛び入りと沿道の拍手・声援を得てかちとられた。
 労働者の怒りが満ちている。東労組の崩壊は連合労働運動の破産を刻印した。闘いの機運が奔流となって噴き出そうとしている。階級的労働運動が主流派として躍り出る時が来た。

革命党への飛躍を拒んだ黒田・松崎

 60年安保闘争の爆発の上にかちとられた62年3全総はカクマルとの歴史的分岐点となった。
 黒田寛一(当時の革共同議長)や動力車労組青年部長の松崎明(政治局員)らは60年安保闘争が6月15日には全国580万人のデモとスト、国会前10万人のデモと国会突入の闘いに上りつめ岸首相を退陣に追い込んだことに恐怖してその歴史的意義を否定。革共同内のセクト的サークル主義や極左空論主義の克服と革命党への飛躍をかけた3全総路線を拒否し、63年に脱落・逃亡して「革命的マルクス主義派」を自称する反革命へと転落していった。
 すでに『レーニン「国家と革命」への疑問』と題するパンフレットで、プロレタリア革命の根本問題としての暴力革命に疑問を呈し反対していた黒田は、「反スターリン主義」をうたい「組織論がない」などと言って60年安保闘争の圧倒的地平を否定した。その立場から、革共同からの脱落・逃亡後、組織現実論を展開した。権力・資本と闘わないことを居直り、「革命」をかたって、黒田個人の宗教的崇拝・学習運動と、権力・資本と闘う他党派解体論に純化していった。
 「3全総路線は『戦闘的労働運動の防衛』と『地区党建設』と『統一戦線』を大きく打ち出した。これは革共同が職場生産点に基礎を置く本格的な革命的労働者党として自己形成し発展していく上で、決定的に重要な路線の提起と確立であった。……現実の労働組合運動に『戦闘的労働運動の防衛』という形をとって積極的にかかわり、その中で労働運動の推進と革命的労働者党の建設を一体的にかちとっていこうとするものであった」(革共同50年史上・清水丈夫議長)。「戦闘的労働運動の防衛」は60年安保・三池闘争後の日帝・権力の反動と資本攻勢、それへの総評・社共指導部の屈服による労働運動・階級闘争の重大な危機を突破するための路線であり、実践方針であった。
 62年5月の死者160人を出した常磐線・三河島事故後の8月動労青森大会は本部方針をぶっ飛ばして運転保安と労働条件の改善を求める12月スト方針を決定した。しかしストは右派はもとより左派が裏切ることで倒された。この総括をめぐって松崎は「闘争中止に触れる前に右派ダラ幹を追及することが必要」「左派批判は右派を強める」と左派を擁護した。さらに現実の階級攻防に責任を取らない「理論学習を根底にすえた新しい労働運動」を強調し「戦闘的労働運動は、防衛すべきものではなく、主体的につくられるべきものである」と強弁した。
 こうして松崎は「自分の組合の中では民同(体制内勢力)顔負けのズブズブの組合主義者として行動し、山本(黒田)派のフラクションに出席すると『思想闘争』の重要性を強調する」(本多延嘉著作選・第5巻「革命的共産主義運動の基本路線とはなにか」)堕落を深め、黒田と共に反革命へと転落していった。松崎はカクマル副議長となり、民同の尻尾について動労内でのし上がっていった。
 一方、革共同は3全総以降、全党を挙げてすさまじい戦闘性を発揮して労働者の中で党づくり・拠点づくりを爆発的に前進させた。66年第3回大会をかちとり70年安保・沖縄闘争の革命的高揚を主導した。「組織現実論」は労働者・学生の決起をもって粉砕された。
 存亡の危機の中でカクマルはファシスト反革命へと最後的に転落した。85年に動労委員長に就いた松崎は国鉄分割・民営化の先兵となり、当時の中曽根首相の意を受けて「戦闘的労働運動の防衛」どころか国労解体に総力を挙げ、動労が率先して総評を脱退することで総評解体・連合結成、労組破壊のお先棒を担いだ。

階級的労働運動の大躍進の時が来た

 このカクマル松崎の対極で、故中野洋同志は63年に動労千葉地本の青年部長となり、3全総に始まる党と労働組合の一体的建設の闘いを最先頭で実践しぬいた。国鉄分割・民営化と真っ向から闘い、階級的労働運動と国際連帯を牽引(けんいん)する動労千葉労働運動を推し進めていった。
 今こそJRを先頭に全産別の職場生産点で、荒々しい労働者の闘いを巻き起こそう。連合労働運動にとどめを刺し、ストライキで闘う労働組合の再生をかちとろう。安倍を倒し革命に向かう改憲・戦争阻止!大行進運動をつくり出そう。
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