無実で獄中43年 星野文昭さん解放を 6・3高松全国集会・パレードに集まろう

週刊『前進』04頁(2933号01面03)(2018/04/16)


無実で獄中43年 星野文昭さん解放を
 6・3高松全国集会・パレードに集まろう


 1971年の渋谷暴動闘争で「殺人罪」をでっち上げられ、無実で獄中43年闘う星野文昭さんの解放へ、闘いは正念場を迎えています。6月3日、高松市で開催される全国集会とパレードに大結集しよう。

沖縄と結んだ71年渋谷暴動闘争

 星野さんがデモ隊のリーダーとして参加した11・14渋谷暴動闘争は、沖縄の闘いに本土、首都東京で呼応し合流する決起でした。
 沖縄は日帝の敗戦と同時に本土から分離され、米軍の支配下におかれました。米軍は沖縄に広大な基地を築き、ベトナム侵略戦争の拠点としていました。その中で日米政府は、米軍基地も核兵器も残したままの施政権返還というペテン的な協定を締結。これに対して71年、沖縄労働者人民は基地労働者を先頭に「一切の軍事基地撤去」を掲げて2波のゼネストに立ち上がり、米軍基地を機能停止に追い込みました。11月10日のゼネストは、100万県民の巨大な島ぐるみの闘いに発展しました。
 これに応え、沖縄と本土との分断を打ち破るものとして「沖縄返還協定批准阻止」を掲げた11・14渋谷暴動闘争が闘われたのです。警察権力は不当にも一切の集会とデモを禁止して渋谷を戒厳令状態におきましたが、巨万の労働者・学生・人民のデモは警察機動隊の阻止線を突破し、暴動闘争に発展しました。

星野さん無実は揺るがない真実

 この衝突の中で機動隊員が死亡しました。国家権力は星野さんがその「実行犯」だとでっち上げて殺人罪で起訴し、東京高裁は無期懲役判決を下しました。
 星野さんは無実です。物的証拠は何ひとつ存在せず、あるのは未成年の学生たちに強制したうその「供述調書」のみ。検察は全証拠開示を拒み続けるという卑劣な態度をとり続けています。当然にも星野さんは無実を主張し、43年にわたって不屈に闘っています。
 星野さんとともに渋谷暴動闘争を担い、昨年不当逮捕―「殺人罪」でっち上げ起訴され、闘っている大坂正明さんも無実です。

すべての力集め解放かちとる時

 下獄から30年を迎える今年、闘いは新たな局面を迎えました。「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」は、再審闘争と一体で、四国地方更生保護委員会に対して、即時解放に向けた審理を求めています。更生保護委員会への申し入れはこれまで6回行われ、星野さん即時解放を求める「要望書」は3千人を超えて集まっています。星野さんの絵画展は全国で開かれ、星野さんと連れ合いの暁子さんがモデルの演劇「ブラインド・タッチ」公演も大盛況となりました。
 安倍政権は、森友・加計疑獄などで底なしの不正・腐敗を露呈しつつ、朝鮮侵略戦争参戦のために改憲を行おうと躍起になっています。沖縄では辺野古への新基地建設が強行され、米軍関係の事件・事故が続発。今月5日には東京都内の横田基地にも米軍輸送機オスプレイが配備され、日本全体を戦争の出撃拠点とする動きが加速しています。
 星野さんが71年の渋谷暴動闘争に立ち上がり、43年にわたって「人間が人間らしく生きられる社会を」と訴えて誇り高く闘っているのは、この現実を覆すためです。星野さん奪還の闘いは、社会を変えたいと願うすべての人々との共同の闘いです。6月3日、四国地方更生保護委員会がある高松市での1千人集会とパレードに全国から駆けつけ、高松を「星野さん解放」一色にしましょう。

☆星野文昭さん 1946年、北海道札幌市生まれ▼66年、高崎経済大学入学▼71年11・14渋谷暴動闘争に決起▼72年2月、「殺人罪」で指名手配▼75年8月6日、不当逮捕▼87年7月17日、最高裁で無期懲役が確定▼2000年2月、再審請求棄却

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無実で獄中43年 星野文昭さん解放全国集会
 6月3日(日)正午開場、午後0時30分開会
 サンポートホール高松 大ホール(香川県高松市)
 講演 平良修氏「沖縄と星野文昭」
 発言 家族の訴え、弁護団の報告 ☆終了後パレード
 主催/星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議

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