労組先頭にJアラート戦争訓練を阻もう 戦時下の「防空演習」と同じ

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週刊『前進』02頁(2922号01面03)(2018/03/08)


労組先頭にJアラート戦争訓練を阻もう
 戦時下の「防空演習」と同じ

(写真 内閣官房発行のパンフより)

 3月14日に全国でJアラート訓練が実施されようとしている。北朝鮮への脅威と敵意をあおり、朝鮮侵略戦争に動員するための戦争訓練だ。戦時下の「防空訓練」も住民を戦争に動員する決定的な手段だった。『「逃げるな、火を消せ!」 戦時下トンデモ「防空法」』(大前治著)を参考に、Jアラート訓練の本質に迫る。

国のために死ぬ精神

 防空演習は1928年、大阪から始まった。「市民よ! 愛すべき我らの大阪を守れ」「全市物凄(すご)い戦争気分」(大阪朝日新聞)という記事が新聞に躍る。37年になると政府は「防空法」を制定し、防空訓練を「国民精神総動員」における「対敵心構えの訓練」の柱に据えた。同時に、消火や灯火管制といった防空活動の基礎となる「隣組」も組織した。
 当時は、山東出兵、満州事変、盧溝橋事件など、日本が中国への侵略戦争を全面化させていく過程である。防空訓練は、住民の戦意を高揚させ、地域丸ごと戦争体制に組み込んでいく要だったのだ。
 しかしその本質は、住民の命を守るものではなく、〝お国のために死ね〟と強制するものだった。
 政府は『時局防空必携』(41年10月)で、「全国民が『国土防衛の戦士である』」「力を協(あわ)せ、命を投げ出して御国を守る」「必勝の信念を以って各々持ち場を守ること。此の防空精神は即ち日本精神である」と掲げた。
 日米開戦前夜には、防空法は避難禁止が罰則を伴う義務へと改定される。衆議院では、空襲の実害よりも「戦争継続意志の破綻が最も恐ろしい」と審議されていた。支配階級は、人民の戦争への不満におびえて治安弾圧で〝逃げるな、火を消せ〟と恫喝する一方、皇居や大本営の避難先として、総延長10㌔に及ぶ巨大地下壕を長野県に建設していた。

〝焼夷弾も怖くない〟

 極めつけは焼夷弾(しょういだん)への対応だ。3千度の高熱を発する焼夷弾が消せないことは科学者も軍・政府も知っていた。しかし政府は、「筵(むしろ)類を水で濡らして水をかけるか、砂袋をかける」「シャベル等で屋外に運び出す」(『時局防空必携』)という荒唐無稽な対処法で、猛火に飛び込めとあおった。空襲が始まると「手袋をはめて掴(つか)めば熱くもなんともない」(朝日新聞44年12月1日付)という〝武勇伝〟も登場する。こうして50万人以上の命が空襲で奪われた。
 現在、内閣官房は避難訓練と銘打ち、「核爆発の場合」は「目でみないようにし、とっさに身を隠し、口と鼻をハンカチで覆って、爆心地から遠く離れてください」と指示している。瞬時に大爆発する原爆も〝怖くない、立ち向かえ〟と言わんばかりだ。戦時下の「防空精神」と同じではないか!
 命を守るためには戦争放火者の安倍を倒すことだ。労組先頭に地域からJアラート訓練を阻止し、朝鮮侵略戦争への動員を阻もう。
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