柏崎刈羽再稼働許すな 核兵器の材料確保が目的 全国から3・11反原発福島行動へ
柏崎刈羽再稼働許すな
核兵器の材料確保が目的
全国から3・11反原発福島行動へ
原子力規制委員会は昨年12月27日、東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)が新規制基準に「適合」するとした審査書を正式決定した。これは再稼働承認の決定だ。柏崎刈羽原発の再稼働など絶対に許すわけにはいかない。
福一の責任とれ
東京電力や安倍政権・規制委員会は3・11福島原発事故をどう考えているのだ。事故の責任をとったのか。まったく否だ。
事故から7年近く経過しているにもかかわらず、福島第一原発は核燃料デブリの取り出し方法さえ決まらず、廃炉の道筋がまったく見いだせないのが現実だ。今も5万3千人を超える福島県民が厳しい避難生活を続け(福島県ホームページ、昨年11月時点)、高線量の放射能汚染によって無念な思いで帰還を断念せざるをえないのだ。
さらに、甲状腺がんないし疑いの子どもは、福島県の県民健康調査検討委員会が公表しているだけでも194人(手術の結果、良性と判明が1人)。そのほかにも甲状腺がんの子どもが幾人も存在することが分かっており、今後、さらに増加する恐れが大きい。
豆腐の上の原発
3・11福島原発事故でこれだけすさまじい犠牲を出しながら、恥知らずにも一切責任をとらず、柏崎刈羽原発を再稼働するなど到底許すわけにはいかない。
たとえ事故が起こらなくても原発は労働者を被曝させ、放射性物質を大気中と海洋に放出して労働者・住民を被曝させる。
さらに柏崎刈羽原発は、「豆腐の上の原発」と呼ばれるほど軟弱な地盤の上にある、極めて危険な原発なのだ。40㍍ほど掘ってようやく岩盤らしいところに到達するほど地質は弱い。6、7号機の場合、あまりに軟弱なため、鉄筋コンクリートの人工岩盤で基礎を築かなければならなかったほどだ。また計画の当初から活断層の存在が指摘され、危険性が叫ばれた。
地元の青年労働者や住民を先頭に反対運動が高まり、1980年12月4日の公開ヒアリング阻止闘争には労働組合を軸に8千人の労働者・住民が立ち上がった。この広範な怒りと闘いを国家権力・機動隊の暴力で圧殺し、自民党政府と東電は建設・稼働を強行したのだ。
だが事故の不安は的中した。2007年7月16日午前10時13分頃、マグニチュード6・8の新潟県中越沖地震が発生。原発が立地する柏崎市や隣接する長岡市などで震度6強を記録。県内の住宅約7千棟が全半壊して15人が亡くなり、2300人以上がけがをした。
この地震は柏崎刈羽原発を直撃した。運転中の3、4、7号機と起動中の2号機の原子炉はすべて緊急停止。炉の中央制御室では多くのアラームが鳴り続けた。しかし、数十秒間にわたって続く揺れで計器の確認もできない状況だった。建物外では敷地が激しく波打ち、各所で隆起や陥没が起こった。3号機すぐ横の変圧器では火災が発生。だが地震の影響で消火栓の水がほとんど出ず、約2時間後、地元消防の手でやっと消火したのだ。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民の避難の相談まで始めていた。それほど事態は深刻だった。
核武装化を追求
日帝・安倍政権がこれほど無謀でまったく説得力のない柏崎刈羽原発の再稼働を狙うのは、朝鮮戦争(核戦争)が急速に現実のものとなる中で、国産巡航ミサイルの開発や護衛艦「いずも」の空母化を策すと同時に、独自の核武装を必死で追求しているからだ。原発を稼働し、核兵器の材料となるプルトニウムを確保することが目的なのだ。プルトニウムは時間が経つと劣化する。そのために、新たにプルトニウムを生産することが絶対に必要なのだ。
また、3・11の責任を開き直り、フクシマと全国の原発への怒りと闘いを破壊することがもう一方の狙いだ。だが、それは逆に労働者人民の怒りを倍加させるものとなる。70〜80年代の大闘争を闘いぬいた地元の労働者・住民、新潟の労働者・労働組合は、フクシマと連帯し必ず立ち上がる。
3・11反原発福島行動18に全国から集まろう。その力で帰還強制を許さず、再稼働も阻もう。戦争と改憲を必ず阻止しよう。
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■柏崎刈羽原発
新潟県柏崎市と刈羽(かりわ)村にまたがって立地する東京電力の原発。3・11原発事故を起こした福島第一原発と同じ沸騰水型の原発が7基。1号機は1978年12月に建設着工、85年9月に営業運転開始。総出力821万2千㌔ワットで世界最大。