改憲は「戦争する国」への大転換 「立憲主義守れ」は改憲容認論だ 絶対反対を貫きゼネスト―革命へ

週刊『前進』08頁(2905号08面01)(2018/01/01)


改憲は「戦争する国」への大転換
 「立憲主義守れ」は改憲容認論だ
 絶対反対を貫きゼネスト―革命へ

 2018年の幕開けとともに、改憲をめぐる政治決戦の火ぶたが切られた。改憲阻止闘争は、18〜20年にかけて、この社会に渦巻く怒りの声、安倍政権への積もりに積もった怒りの声を丸ごと結集し、団結の力に変え、闘う労働組合を中心に壮大な民衆総決起をつくりだし、もって現下の朝鮮戦争・核戦争の危機をプロレタリア革命の勝利へ転化していく決戦である。青年・学生を先頭に意気高く総決起しよう。

自衛隊の侵略軍隊化狙う安倍・自民党の9条改憲案

 米トランプ政権は今、核による北朝鮮への先制攻撃の実行に向けて本格的に動き始めている。トランプと親密な対北朝鮮強硬派で知られる米上院議員グラム(共和党)は、雑誌のインタビューで「トランプ政権が北朝鮮への攻撃に踏み切れば、『ピンポイント攻撃』ではなく『全面戦争』になる。東アジアの数百万人の命が犠牲になるが、将来のアメリカの死者を避けるためならやる意味がある」などと主張した。今まさにトランプは、東アジアの数百万の命を平然と「捨て駒」にする核戦争の算段を立てているのだ。そして安倍政権はトランプとともに北朝鮮を挑発しながら、この戦争への参戦準備を改憲と一体で進めている。
 重要なことは、安倍は「憲法を変えてから戦争をやろう」と考えているのではなく、現に戦争と大軍拡をなし崩し的に推進し、自衛隊を戦争遂行部隊へと改造しながら、その自衛隊を「合憲化」しようとしていることだ。すでに安倍は米国製兵器の大量購入を進め、今年中に防衛計画大綱の「従来の延長線上ではない大胆な見直し」=敵基地攻撃能力の保有に踏み込む方針を明らかにした。
 しかも、この空前の大軍拡は社会保障の大幅削減や大増税と表裏一体で強行され、労働者家族の命の糧を奪いながら戦争準備が進められているのだ。第2次大戦中の「もう一段 暮らしを下げて もう一艦」(1943年、東条内閣のスローガン)と同じ軍国政策への没入であり、これへの怒りの声は地に満ちている。
 したがって改憲阻止闘争の焦点は、さしあたり国会での審議や国民投票ではなく、トランプと安倍が現に進めている朝鮮戦争・核戦争の策動、大軍拡や軍事演習の激化に対し、職場・地域・学園から攻勢的にデモや抗議闘争を組織し、戦争・改憲に反対する労働組合や学生自治会の拠点建設を日常不断に推し進めていくことにある。とりわけ労働現場から戦争反対のストライキを復権させることが急務だ。連合の分裂・崩壊状況に対し、「この時代に労働組合はいかにあるべきか」を問う闘いとして改憲阻止闘争を展開しよう。

現行憲法を死文化させる重大な改悪

 自民党は「遅くとも17年内に」と予定していた改憲案の集約が破産し、12月の「論点整理」ではひとまず①9条改定②緊急事態条項③教育無償化④参院選挙区の合区解消の4項目を検討した。本稿では9条に焦点を絞って見ていきたい。
 現時点で最も有力と見られる案は、現行憲法9条1項と2項を残した上で「第3項」ではなく「9条の2」を新設し、「前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」と明記、首相が「自衛隊の最高の指揮監督権」を持つことも盛り込むというものだ()。
 その狙いは、憲法9条1項「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は......永久にこれを放棄する」、2項「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の規定から、自衛隊を完全に切り離すことである。単に今ある自衛隊を憲法上追認することにとどまらない、極めて重大な転換である。
 第一に、9条2項「戦力不保持」「交戦権否認」の規定が空文化・死文化し、自衛隊が違憲性を問われることが一切なくなる。自衛隊の設置を「妨げるものと(9条を)解釈してはならない」という命令口調の条文が意味するのは、これまでのように9条2項をもって自衛隊の違憲性を問うことも、その装備や活動実態に対して違憲訴訟などで疑義を差し挟むことも許さないということだ。自衛隊が実際にどんな兵器を持とうが、憲法上は「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」(9条の2)とみなされ、あらかじめ合憲とされるのである。
 第二に、自衛隊の軍備増強と任務拡大が憲法上禁じられないばかりか、憲法上の義務にすらなる。これまで歴代政府は、憲法違反の自衛隊の存在を強引に正当化するために「自衛隊は必要最小限度の実力組織だ」と言い張ってきたが、このような「実力組織」を持つことそれ自体が憲法で義務づけられていたわけではない。だが安倍改憲案では、「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織として自衛隊を設ける」と明記する以上、そうした「実力」を自衛隊に持たせることが国の義務となる。その「必要最小限度」の範囲も中国や北朝鮮などの軍事動向を理由にいくらでも拡大できる。果てしない大軍拡が不可避となるのだ。
 第三に、集団的自衛権行使や敵地攻撃を含め、自衛隊のあらゆる戦争行為が合憲化される。憲法上「必要最小限度の実力組織」でしかない自衛隊が実際にどんな戦争行為を行っても、それは9条1項が禁じる「国権の発動たる戦争」にも「武力による威嚇または武力の行使」にも相当せず、せいぜい「自衛の措置」とでも言っておけばいいことになる。安保戦争法の発動に対して違憲性を問う余地がなくなるのだ。
 第四に、これは軍法会議の設置に直結する。憲法76条が軍法会議を含む一切の特別裁判所の設置を禁じたのは、9条で「戦力不保持」「交戦権否認」を定めたこと、つまり「何らかの軍事組織を持って他国と交戦することはありえない」としたことと表裏の関係にある。現行憲法に緊急事態条項がないのも同じ理由による。これを覆して自衛隊を合憲化すれば、軍規保全のための軍法会議や憲兵隊の設置が不可欠となる。実際、2012年の自民党改憲草案では「審判所」という名の軍事裁判所が9条に明記されていた。
 総じて、自衛隊は従来のような「戦争をしない」ことを憲法上の前提とした組織ではなく、「自衛の措置」と称する戦争行為を最前線で担う正真正銘の帝国主義軍隊へとその性格を大きく変える。国民投票による改憲はこのような自衛隊の大転換に「国民的合意」を与えることを意味する。それを通じて自衛隊員一人ひとりの意識も一変させ、他国の人びとと殺傷し合う本格的な侵略軍隊へと変えようということだ。

戦争・改憲反対の原則を解体する「立憲主義」野党

 安倍の狙いはまさに「戦争のための改憲」であり、労働者階級の立場は「絶対反対」以外にはない。
 ところが今、これに対して「立憲主義を守れ」なる的外れなスローガンを対置し、戦争・改憲反対の運動を路線的に変質させようとする策動が、野党や自称「リベラル」派の言論人らによって進められている。彼らの言う「立憲主義を守れ」とは、かつて総評などが掲げた「護憲」や「平和擁護」とも異なる、戦後労働運動の歴史から見ても明らかに異質な主張であり、特に2015年安保国会闘争以後、反戦運動の原則を解体する意図をもって持ち込まれたものだ。民進党の分裂・解体と「立憲主義の回復」を綱領に掲げる立憲民主党の登場、そしてこれを全力で後押しする日本共産党の「野党共闘」路線のもと、戦争・改憲絶対反対の怒りと闘いがねじ曲げられようとしているのだ。

「合憲なら戦争も弾圧も問題ない」

 立憲民主党代表・枝野幸男は結党直後、オンラインメディアのインタビューに次のように答えている。
 「私は護憲派ではありません。憲法をより良い方向に変えるなら改憲には賛成です」「ミサイル防衛システムはもっとお金をかけるべきです。尖閣諸島の防衛だって充実させることは必要です。......僕はその範疇(はんちゅう)なら安倍さんとそこまで変わらない」
 「立憲主義」を旗印に、枝野が実際にやろうとしていることは改憲であり、日米安保・自衛隊の強化である。また立憲主義そのものについては、結党当日(10月3日)の街頭演説で次のように述べている。
 「憲法によって一人ひとりの自由と人権を守る。この立憲主義は、近代社会においてあまりにも当たり前のこと。......立憲主義は確保されなければならないというのは、明治憲法のもとでも前提でした。少なくとも大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました」
 枝野によると、立憲主義とは「憲法によって一人ひとりの自由と人権を守る」ことであり、それは戦前の帝国憲法下でも「確保」されていたのだという。まずもって、これはあからさまな歴史の偽造である。大正期以前から絶えず近隣諸国への戦争と侵略を拡大し、国内では労働者や農民を極限的な貧困と無権利状態にたたき込み、その暗黒政治のもとで財閥資本と大地主に途方もない暴利をむさぼらせてきたのが、明治以来の天皇制国家=日本の姿ではないか。一体どこに「一人ひとりの自由と人権」が守られていたというのか。
 だが問題はそれだけではない。枝野が言っているのは、戦前の日本がやったような戦争も治安弾圧も、憲法に則って行われるなら問題ないということだ。要するに「立憲主義を守れ」なるものは、戦争反対でもなければ、現実に労働者人民の生活や自由を守ろうとするものでもなく、ただ「立憲国家」という体裁をとった国家権力のもとに人間を服従させるイデオロギーでしかないのである。
 そもそも憲法それ自体に何か人間の自由や人権を守る超越的な力があるわけではない。戦争を止める力、人間の命や権利を守り抜く力は、国家権力の支配と闘う現実の階級闘争の中にこそある。求められているのは、本当に社会を変革する力をもった階級的労働運動と学生運動の鮮烈な登場である。その実践こそ立憲主義に対する最大の批判だ。

「挙国一致」で闘争の圧殺狙う天皇即位攻撃粉砕を

 安倍政権は改憲に向けたスケジュールと並行して天皇の代替わりを19年4月30日―5月1日に設定し、これを「静かな環境」で行うという口実のもと、治安弾圧の強化と階級闘争の圧殺を狙っている。もはや安倍には、天皇の「錦の御旗」のもとに国民統合を図る以外にどんな手段も残されていないのだ。まさに天皇制の本質は戦争と治安弾圧であり、労働者階級自己解放の事業に全面的に敵対する反革命のシンボルだ。

天皇制を打倒し革命で未来開こう

 天皇制とは、天皇とその血族を国家の頂点に置き、その神格化された擬似宗教的権威を他のすべての人間の上に君臨させる日本特有の世襲君主制である。現在の「象徴天皇制」は、直接には明治以後の時代において、国家権力中枢によって極めて人為的・政治的につくりあげられ、全人民に暴力的に押しつけられてきた近代天皇制の戦後的・危機的延命形態に他ならない。
 もとよりイギリス、フランス、アメリカなどの先進資本主義国がブルジョア民主主義革命や独立戦争を「国民統合の象徴」としてきたのに対し、そうした歴史を持たない最も後発の帝国主義として世界史に登場した日帝は、国家の精神的支柱として前近代的な「皇国神話」を担ぎ上げるほかなかった。1871年パリ・コミューンの直後に欧州諸国を視察した明治政府の閣僚らは、このような革命を絶対に起こさせないという反革命的な決意のもと、強権的な帝政ドイツを手本に天皇制国家を建設した。人民に対しては、天皇崇拝と皇国史観を植えつけるため、軍隊や学校を始め社会のあらゆる場面で暴力的な教化政策を徹底した。
 その結末が惨苦を極めたアジア・太平洋戦争とその敗戦であった。それゆえ敗戦直後には、日本とアジア―全世界で戦犯天皇ヒロヒト処刑と天皇制廃止を要求する人民の怒りが空前の規模で爆発し、天皇制を打倒寸前まで追い詰めた。だが日帝支配階級は米帝=占領軍に助けられ、憲法と引き換えに戦後革命をのりきり、象徴天皇制という形で自らの反革命的シンボルを辛くも維持したのである。
 こうして直接の政治的権能を失った天皇制を再び国家の頂点に据え、改憲と軍事大国化をなしとげようとしたのが1980年代の中曽根政権だった。だが動労千葉を先頭とする国鉄分割・民営化反対闘争、三里塚を始めとする不屈の反戦闘争が中曽根の野望を粉々に打ち砕き、続いて平成天皇アキヒトの即位を徹底弾劾する90年天皇決戦が労働者階級の渾身(こんしん)の決起として打ち抜かれた。この過程は星野文昭同志への無期懲役判決(87年)、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧(87年)、さらには革共同への破防法適用を狙った国家権力に対し、不屈・非妥協を貫いて敢然と勝ち抜いた過程だった。
 「平和主義」を装い「国民に寄り添う天皇」をペテン的に演じてきたアキヒトの姿は、このような労働者階級の不屈の闘いと革命情勢の到来に追い詰められた〈天皇制の破産形態〉に他ならない。こんなものにすがる以外に延命できない日帝・安倍もろとも、今こそ天皇制を最後的に打倒し根こそぎに一掃する時だ。

おわりに

 憲法をめぐる闘争は、突き詰めればどの階級が権力を握るのかという革命の問題へ必ず行き着く。そして帝国主義戦争の時代には、労働者が「戦争絶対反対」を正面から訴え行動すること自体が、最も鮮明な階級性の発露なのである。
 政治家や学者がさかしらげに「立憲主義」をお説教して回るような運動に未来はない。今、必要なのは、労働者や学生が自分の言葉で「改憲阻止・戦争絶対反対!」を訴え、職場や学園で討論を巻き起こし、自ら組織者となってフラクションや学習会などを無数に建設し、情熱と気迫と執念をもって新しい運動を具体的につくりあげていくことだ。国鉄闘争を不屈に闘い勝利してきた地平と獲得力・求心力を惜しみなく発揮して、今こそ闘う労働運動・学生運動を歴史の前面に登場させよう。改憲と一体の天皇制攻撃を打ち破る鍵もそこにある。
 突破口は昨年の11月労働者集会―改憲阻止1万人大行進をもって開かれた。韓国・民主労総を始め全世界の労働者とともに、確信をもってこの道を進もう。
〔水樹 豊〕

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自民党の9条改憲案(2017年12月時点)

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。

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