ロシア革命歪曲する日本共産党 プロレタリア革命を全否定 スターリン主義の正体さらす
週刊『前進』02頁(2898号02面01)(2017/11/30)
ロシア革命歪曲する日本共産党
プロレタリア革命を全否定
スターリン主義の正体さらす
(写真 「第3インターナショナル万歳!」と書かれた旗を掲げ、ペトログラート【現サンクト・ペテルブルク】市内をデモする兵士たち【1917年6月18日】)
「野党共闘」への参加願い、世界革命の意義を抹殺
日本共産党が11月7日付『赤旗』に「ロシア革命100年と社会主義を考える」と題する論文を発表した。その内容は、ロシア革命の意義や成果を部分的に評価するような体裁をとりながら、ロシア革命の原点を根本的に否定し、踏みにじるものだ。9日の日本共産党委員長・志位和夫の記者会見も、17日付の朝日新聞での前議長・不破哲三の主張も、さらには23日付『赤旗』の「『プラウダ』(ロシア共産党機関紙)への回答」もほぼ同じ趣旨のことを述べている。そこでは、概略次のような主張が展開されている。①ロシア革命で民族自決が宣言され、フランス革命以来の人権概念も発展した。それが第2次大戦後の植民地体制の崩壊やILO(国際労働機関)創設につながった。②レーニンは晩年「市場経済を通じての社会主義」「帝国主義との平和共存」路線に転換した。③スターリンは「大国主義・覇権主義」「専制主義・官僚主義」に問題があった。
要するにロシア革命は民主的諸権利を若干拡大しただけの社会改良にすぎず、レーニンも晩年は一国社会主義論と平和共存路線になったというのである。とんでもない歴史の偽造であり、革命を担ったロシアの労働者階級人民とレーニンおよびボルシェビキへのこの上ない侮辱である。
そもそもロシア革命は、資本主義・帝国主義を転覆した人類史上初のプロレタリア革命であり、それをもって世界革命への突破口を切り開いたことに最大の世界史的意義がある。日本共産党はこの歴史を歪曲し、ロシア革命の世界史的意義を根本的に否定することで、〝私たちはプロレタリア革命とは無縁な無害無臭のブルジョア議会政党です。だからブルジョアジーの皆さん、どうか日本共産党の存在を容認し、「野党共闘」に入れてください〟と哀願しているのだ。それでいてなおも労働者人民に支持されると考えている。「共産党」の看板さえはずさなければ労働者人民をだませると思っているのだ。日本共産党は正真正銘のスターリン主義党であり、ペテン師である。この真実を暴露し、日本共産党を打倒・一掃しよう。
「戦争を内乱へ」の闘いも無視し「自衛戦争」に賛成
二月革命に始まり十月革命に至る1917年のロシア革命は、第1次世界大戦の中で起こった。ロシアでは1500万人が軍隊に召集され、前線では300万人もの兵士が死傷し、銃後の都市と農村では激しい搾取・収奪、生産と交通の崩壊によって労働者・農民が困窮と飢餓に苦しめられた。この破局から抜け出すには、戦争を続ける政府を打倒して労働者階級が権力を握るしかなかった。現実の切実な問題に対する実践的な解答として労働者、兵士、農民が革命に立ち上がったのである。こうしてロシア革命は、帝国主義戦争を内乱に転化したプロレタリア社会主義革命としてかちとられた。レーニン率いるボルシェビキとロシア労働者階級は、労兵農ソビエトという形でプロレタリア独裁のもと労農同盟を形成し、土地を農民に与え、生産を統制し、社会主義建設に踏み出した。崩壊した第2インターナショナルに代わって第3インターナショナル(共産主義インターナショナル、略称コミンテルン)を創設し、世界革命の完遂に乗り出した。
ところが日本共産党はこうした歴史の真実を完全に無視し、ブルジョアジーすら形式的には容認した「民族自決」や「人権概念」の問題にロシア革命の意義を切り縮める。ロシア革命が「帝国主義戦争を内乱へ」のスローガンを実行したものであったことにも言及しない。今日の朝鮮戦争・核戦争の切迫下で「自衛戦争賛成」の立場に転落した日本共産党は、この点に触れることもできないのだ。
レーニンが一国社会主義路線に転換と歴史を捏造
日本共産党はレーニンの諸政策ついて、①1921年のネップ(新経済政策)は「市場原理を通じて社会主義へ」という政策であった、②22年のジェノバ会議で資本主義諸国との平和共存を提起した、③勤労人民の多数の獲得と統一戦線論を展開し、それが後の反ファシズム統一戦線(人民戦線)へと発展した——と主張する。一国社会主義、帝国主義との平和共存、ブルジョア勢力との「共闘」といったスターリン主義路線の創始者としてレーニンを描いているのだ。だがレーニンが提起したのは、帝国主義の包囲の中でソビエト・ロシアを世界革命の根拠地としてもちこたえさせるための諸政策であり、断じて一国社会主義路線ではない。ネップで許容した余剰農産物の市場販売は共産主義の原則からの「後退」だと自覚して行われた。それは戦争で崩壊した経済を立て直すための一時的な「息継ぎ」だった。ジェノバ会議への参加も、ソビエト・ロシアを防衛するために帝国主義の間隙(かんげき)を突いた外交政策であり、帝国主義の延命を前提とする平和共存路線ではない。
またレーニンは『共産主義における左翼空論主義』で、労働組合内での活動、党と労働組合との相互作用、選挙と議会を利用した宣伝・扇動など、ボルシェビキの原則的かつ柔軟な組織戦術・党建設論を説明し、多数派を形成することの重要性を強調した。これを日本共産党は「国民多数の支持を得て議会を通じて(民主的改革を)進める」「社会主義への前進も、国民の合意をもとに段階的に進める」という彼らの議会主義と二段階戦略の根拠のように主張する。だが日本共産党の言う「国民の合意」とは非和解的な対立関係にある資本家階級と労働者階級との「合意」であり、しかも議会政治の枠内での多数派工作を意味するものにすぎない。労働者や農民の圧倒的多数をプロレタリア革命の旗のもとに獲得することをめざしたレーニンの立場とは無縁だ。
レーニンは晩年の1922~23年、急速に党の実権を握ったスターリンを打倒しようと最後の力を振り絞って闘った。それはロシア革命を突破口とする世界革命を継続するかどうかをめぐる権力闘争だった。ところが日本共産党はこの問題を抜きに、レーニンの死後、スターリンがトロツキーを排除して実権を握ったのはよかったが、その大国主義・官僚主義は少々度が過ぎたと言う。スターリン擁護論であり、世界革命を放棄したスターリン以来の路線を継承するものだ。
だが、日本共産党がどれほど歴史を歪曲しようと、ロシア革命とレーニン、ボルシェビキの闘いは反帝国主義・反スターリン主義世界革命綱領を掲げる革共同と階級的労働運動の中に脈々と引き継がれている。今こそ21世紀現代におけるプロレタリア革命―世界革命へ進もう。
(藤沢明彦)