焦点 カタルーニャ独立めぐる大激動 根底に新自由主義への怒り

週刊『前進』02頁(2894号02面02)(2017/11/16)


焦点
 カタルーニャ独立めぐる大激動
 根底に新自由主義への怒り


 カタルーニャのスペインからの独立をめぐる激動は10月1日の住民投票(90%が独立賛成、投票率43%)をきっかけとして、スペイン中央政府の強権的投票破壊行動、これに対する抗議の爆発、カタルーニャ州政府の抵抗宣言、そしてついにプッチダモン州首相や州議会議長、カタルーニャ州政府要人数人の拘束にまで至った。スペインは1930年代の内戦以来の国家的社会的分裂状態に入った。
●深刻な失業、非正規化
 カタルーニャでは何が起こっているのか。第一に、スペイン最大の州カタルーニャ(スペインの国内総生産〔GDP〕の20%を占める工業・金融の中心地)の38%の人々が住民投票でスペインからの独立を要求したことの底にあるのは、カタルーニャの労働者階級人民の直面する非正規労働、賃金カット、社会保障制度の解体攻撃などに対する積年の怒りである。この現実はスペイン、EU(欧州連合)、全世界の労働者と共通のものである。
 第二に、中央政府によって解任されたカタルーニャ州の前首相プッチダモンは2016年以来、保守民族主義政党CDC(カタルーニャ民主集中)政権を率い、新自由主義政策を推進してきた。中央の国民党政権、ラホイ首相と同様、労働者階級人民の打倒対象である。
 第三に、カタルーニャとスペインは、世界大恐慌に伴い投機的金融資本が一斉に引き揚げたことによる衝撃をギリシャに次いでまともに受けた。GDP成長率は07〜09年に3・6%からマイナス4・7%へ急落した。現在も賃金は恐慌以前の水準に戻らず、青年労働者の37%は失業者である。
 第四に、スペインが現在の議会政治に「復帰」したのは1975年である。36〜39年の内戦が、スターリン主義の裏切りによって敗北を強いられてからほぼ40年間、スペイン労働者階級人民はフランコ将軍の軍事独裁下に置かれていた。
●〝怒れる人々の決起〟
 フランコ独裁から解放されたスペインに、新自由主義が襲いかかった。焦点は「労働市場の柔軟化」であった。78年に制定された「労働憲章」の改定を、国民党と社会労働党の政権が80年代から数次にわたり行い、非正規職化、解雇規制の緩和、団体協約の形骸化などを強行した。2012年、ラホイ政権のもとでの労働法制改悪には、労働者が〝怒れる人々の決起〟でカタルーニャの州都バルセロナを中心に対決した。
 フランコ独裁国家からの転換過程で、スペイン内戦の決戦場の伝統を持っているカタルーニャやバスク地方を中央政府の支配下にねじ伏せようとして、地方自治に様々な制約が課された。78年に自治州となったカタルーニャ州政府には徴税権も予算作成権も与えられなかった。これに抗議し様々な独立組織・独立運動が結成され、政党・労組のレベルで独立派・独立反対派の分岐が生じてきた。
 独立賛成派・反対派それぞれが数十万人規模のデモや集会を行っているが、独立反対派内部は必ずしもスペイン中央政府支持ではなく、スペイン内部にとどまって自決権を防衛すべきだという声が多い。10月3日のストライキに参加した労働組合の中でも、ラホイ政権による自治権否定の強圧的な攻撃に抗議して参加した労働者が多い。
 新自由主義攻撃を強行するスペインとEUのブルジョアジーの打倒こそ真の解決だ。体制内労組の壁を打ち破って階級的労働運動を復活し、スペイン内戦を引き継ぎ、2012年の〝怒れる人々の決起〟を貫徹することが求められている。イギリスのEU離脱で揺らぐEUの壁を打ち破るのは、この闘いを国際連帯で打ち抜くことだ。

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