極右の正体さらした小池 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼を拒否 朝鮮戦争切迫下で排外主義扇動

週刊『前進』02頁(2872号02面01)(2017/08/31)


極右の正体さらした小池
 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼を拒否
 朝鮮戦争切迫下で排外主義扇動

(写真 墨田区・横網町公園の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑)

(写真 武装した自警団 )


 東京都知事・小池百合子が、9月1日に横網町公園(墨田区)で行われる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を拒否するという、驚くべき暴挙に出た。歴代都政で初めてのことだ。今日の朝鮮侵略戦争の切迫下、小池はついに極右・日本会議としての正体をあらわし、その排外主義的本性をむき出しにした。

大虐殺の事実を抹殺

 「〝極右〟小池東京都知事、朝鮮人虐殺追悼文を拒否」「慣例を破り極右勢力の朝鮮人被害歪曲を加速」「小池知事は最近人気が急上昇した政治家だが、平和憲法を否定しようとする極右保守団体の日本会議で活動し、慰安婦強制連行を否定した極右人物だ」(韓国の日刊紙・ハンギョレ新聞8月25日付)。小池の暴挙は海外でも衝撃的に報じられ、国内外で激しい抗議が巻き起こっている。追悼式を主催する実行委員会も、25日付で「震災時に引き起こされた虐殺の事実から目を背けるもの」と抗議声明を発表している。
 8月25日の定例記者会見でこのことを問われた小池は、「3月の都慰霊協会主催の大法要で、関東大震災のすべての犠牲者を追悼した。特別な形で(朝鮮人犠牲者への)追悼文を提出することは控える」などと弁解。朝鮮人虐殺そのものについては「民族差別というよりは、災害の被害だ」などと主張した。当時の日本の軍隊や警察の直接指揮下で凶行された大虐殺の事実を単なる災害関連死に解消する暴論であり、災害時には他民族を虐殺しようと特別に問題視する必要はないと言ったに等しい。絶対に許すことはできない。
 だが関東大震災時の朝鮮人虐殺は、小池らが真実の抹殺をたくらんで醜悪にあがこうと、絶対にかき消せない血ぬられた国家犯罪として歴史に刻まれている。

軍と警察の指揮下で

 1923年9月1日に発生した関東大震災に際し、「朝鮮人が放火し、井戸に毒を入れた」などの事実無根のデマが流布され、出動した軍隊、憲兵隊、警察、さらには在郷軍人会や消防団を中心に組織された自警団の手で、今日までに判明しているだけで6千人以上もの朝鮮人、700人以上もの中国人が虐殺された。また、「南葛労働会」という戦闘的な労働組合の拠点だった亀戸町(現・江東区亀戸)では、朝鮮人とともに労働運動の指導者らが捕らえられ、警察署内などで殺害された(亀戸事件)。
 これらはいずれも、日帝国家権力中枢がきわめて意図的に組織した虐殺だった。震災翌日に戒厳令が布告され、総員6万4千の陸軍兵力と軍艦150隻が東京一帯に動員される中、内務省警保局は全国の地方長官あてに次のように打電した。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し不逞(ふてい)の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し石油を注ぎて放火するものあり。......厳密なる取締りを加えられたし」
 さらに警視庁は「鮮人中不逞の挙についで放火その他の凶暴なる行為に出ずる者あり」と各署に通達。自動車や騎馬伝令で「朝鮮人来襲」の報をまきちらし、同趣旨のポスターを貼りめぐらせた。新聞もこれをうのみにして大宣伝した。
 こうして朝鮮人への憎悪をあおり立てた上で、軍と警察は白昼公然、見せしめとばかりに衆人環視のもとで朝鮮人を虐殺した。軍と警察の指導で組織された自警団もこれにならい、日本刀、竹やり、こん棒、鎌などで朝鮮人を次々と殺害した。その修羅場のような酸鼻を極めた情景は無数の証言に残されている。(表)

革命への恐怖が核心

 日帝権力中枢がこの大虐殺を組織した背景には、1917年ロシア革命の勝利がもたらした全世界的な革命情勢への恐怖があった。19年の朝鮮での3・1独立運動、中国での5・4抗日運動は日帝に巨大な衝撃を与えた。国内でも18年米騒動に続き、鉱山や製鉄所での大規模ストやシベリア出兵反対闘争が全国で激発。20年5月に初のメーデー、同年6月に神戸の三菱・川崎両造船所の大ストが闘われ、農民の小作争議も急増した。
 22年1月には、ロシア革命後に結成された第3インターナショナル(コミンテルン)のもとで極東勤労者大会が開かれ、日本の労働者階級と朝鮮・中国・東アジアの全人民が団結して、日本帝国主義の支配を打ち倒そうという呼びかけが発せられた。
 1920〜30年代に中国で抗日闘争を闘った朝鮮人革命家キムサンは、著書『アリランの歌』で、震災前の東京に留学していた頃を振り返って次のように記している。
 「1919年の日本では革命階級が育ちつつあった。......日本人と朝鮮人とはよい関係にあり、極東地域インターナショナルの精神は、これら日本人の指導の下に生まれつつあった。......それからわずか4年のちの日本の大震災により、この夢を破る大虐殺がもちあがった」
 震災に乗じた朝鮮人虐殺は、このような国際連帯の萌芽を血の海に沈めるための一大反革命だった。
 ロシア革命から100年の今日、韓国でパククネ政権を打倒した闘いは、新たな世界革命情勢を急速に引き寄せている。日帝支配階級と安倍政権、小池ら極右勢力はこのことに心底から恐怖し、今や朝鮮侵略戦争と改憲攻撃に自らの延命の一切をかけている。
 小池や安倍が今、何よりも恐れているのは日韓労働者の国際連帯の発展だ。労働者階級の民族・国籍・国境を越えた団結こそ、戦争を止め、社会を根底から変える力だ。それは民主労総と動労千葉を軸に大きく発展している。だからこそ小池らはこの団結の破壊・分断を狙って必死のあがきを強めている。だがそれこそ彼らの墓穴を掘るものだ。
 正体をむき出しにした小池を安倍もろとも打倒し、韓国に続くゼネスト―革命を日本の地から切り開こう。

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虐殺の事実を語る証言
●(朝鮮人を)銃剣にて刺殺しつつあるなり、頭部と言わず滅多切りにして溝中になげこむ惨虐目もあてられず、殺気満々たる気分の中にありておそろしきとも覚えず......。(福鎌恒子『横浜地方裁判所震災略記』)
●連隊は行動の手始めとしてまず列車改めというのをやった。......朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして直ちに白刃と銃剣の下に次々と倒れていった。......その日の夕方から夜にかけて本格的な朝鮮人狩りをやりだした。(越中谷利一『関東大震災の思い出』)
●たしか3日の昼だったね。荒川の四ツ木橋の下手に、朝鮮人を何人もしばってつれて来て、自警団の人たちが殺したのは。なんとも残忍な殺し方だったね。日本刀で切ったり、竹やりで突いたり、鉄の棒で突き刺したりして殺したんです。女の人、なかにはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、30人ぐらい殺していたね。(西崎雅夫『関東大震災朝鮮人虐殺の記録----東京地区別1100の証言』)
●四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、10人ぐらいずつ朝鮮人を縛って並べ、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。(同)
●亀戸署で虐殺されたのは私が実際にみただけでも50〜60人に達したと思います。虐殺された総数は大変な数にのぼったと思われます。......亀戸の南の大島付近には......多くの朝鮮人職工が働いておりました。その人たちの多くも騎兵隊や自警団によって虐殺されました。(同)

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