7・9三里塚へ 証拠隠しを徹底弾劾 耕作権裁判〝墨塗り全面開示を〟

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週刊『前進』04頁(2857号03面01)(2017/07/03)


7・9三里塚へ
 証拠隠しを徹底弾劾
 耕作権裁判〝墨塗り全面開示を〟

(写真 「農地強奪許さない!」との気迫を込め耕作権裁判開廷を前に反対同盟と労農学は千葉地裁に迫るデモに立った【6月26日】)




 6月26日、天神峰・市東孝雄さんの耕作権裁判の弁論が千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労農学95人は、「農地死守」の気概に燃えて全力で闘いぬいた。
 午前9時、千葉市中央公園で太郎良陽一さんの司会で決起集会が開かれた。
 最初に反対同盟事務局の萩原富夫さんが発言に立った。「NAA(成田空港会社)は市東さんを〝不法耕作〟として訴えたが、農地取り上げ攻撃があまりにもデタラメで、11年目に入って裁判が終わらない。動労千葉と連帯し、農地を守って闘っている。ともに安倍政権を打倒しよう」と千葉市民に訴えた。
 動労千葉の中村仁さん、全学連三里塚現地行動隊などの連帯発言を受け、意気高く市内デモに出発した。「耕す者に権利あり」の横断幕を掲げ、デモは千葉地裁に鋭く迫った。

70年当時の資料

 10時30分に開廷すると、顧問弁護団の追及が冒頭から火を噴いた。弁護団が「乙85号証」の墨塗り部分の開示を求めたのに対し、原告NAAは拒否し、裁判長も開示命令を出すのを拒んだ。これに怒りが爆発。
 「乙85」は、2012年の文書提出命令によってNAAに提出させた書証の一つ。空港公団(NAAの前身)によって作成された、1970年当時の南台農地の小作者の根本、石橋、市東の3軒の耕作状況を調査した図面入りの資料だが、その大きな部分が提出時に墨塗りにされた。
 NAA代理人は今年4月の準備書面でこの「乙85」に触れ、「昭和45年(1970年)頃の耕作状況をもとに当初の耕作地を推測したもの」と言いなしてその証拠価値を低め、自分たちが偽造した「同意書」「境界確認書」の添付図面の方が正しいなどと言い出した。ならば「乙85」の墨塗りは認められない!
 だが内田裁判長は、「これ以上の開示は求めない」と繰り返すばかり。傍聴席からは「証拠隠しをやめろ!」と激しい怒りの声が矢継ぎ早に飛び、法廷は数十分にわたり騒然となった。裁判所とNAAの証拠隠しの癒着構造が浮き彫りになった。次回期日を9月25日として閉廷した。

裁判長を許さぬ

 報告集会が近くの会場で開かれた。最初に市東さんがあいさつに立ち、「文書をすべて明らかにさせよう!」と呼びかけた。
 続いて葉山岳夫弁護士が墨塗りされた箇所を示しながら、「乙85は用地買収交渉に伴う詳細な調査結果として書かれた」と解説し、開示を拒否するNAAと裁判長を弾劾した(写真)。さらに弁護団全員が発言し、証拠隠しに加担する裁判長を厳しく批判した。
 質疑応答に続き、全国農民会議共同代表の小川浩さんが「安倍政権の農業破壊政策と対決しよう」と連帯発言をした。
 最後に司会の伊藤信晴さんが、7・9現地闘争と樫の木まつりへの参加を熱く訴えて締めくくった。

市東さんの庭に集い交流を

 反対同盟が呼びかける7・9現地闘争と樫の木まつりに駆けつけよう。
 反対同盟は、「市東さんの庭に集い、開拓100年の歴史を生きる樫の木のように抵抗の根を広げよう」と訴えている。
 集会・デモ行進に加え、この場所が強制執行攻撃との焦点であることを実地に確認し、市東さんをはじめ反対同盟との連帯を一層深める企画だ。畑の土、樫の木が枝を伸ばす庭、裁判の重要争点であるやぐら・看板、封鎖された団結街道、目の前を走行し離着陸するジェット機の騒音などを体感しながら、交流の集いが開かれる。
 労農学連帯の力で、市東さんの農地を守り抜こう。請求異議裁判、耕作権裁判など全裁判に勝利しよう。

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7・9三里塚現地闘争と天神峰樫の木まつり
 7月9日(日)
 正午 市東さんの南台の畑集合
 畑見学など/12時40分〜うちあわせ
 午後1時~開拓組合道路までデモ行進
 デモ終了後、市東さん宅中庭に移動
 2時頃~市東さん宅中庭でつどい
 主催 三里塚芝山連合空港反対同盟

三里塚裁判日程
◎第3誘導路裁判
 7月11日(火)
 午前10時30分 千葉地裁
◎新やぐら裁判
 7月24日(月)
 午前10時30分 千葉地裁

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