7・9三里塚へ 証拠隠しを徹底弾劾 耕作権裁判〝墨塗り全面開示を〟
7・9三里塚へ
証拠隠しを徹底弾劾
耕作権裁判〝墨塗り全面開示を〟
6月26日、天神峰・市東孝雄さんの耕作権裁判の弁論が千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労農学95人は、「農地死守」の気概に燃えて全力で闘いぬいた。
午前9時、千葉市中央公園で太郎良陽一さんの司会で決起集会が開かれた。
最初に反対同盟事務局の萩原富夫さんが発言に立った。「NAA(成田空港会社)は市東さんを〝不法耕作〟として訴えたが、農地取り上げ攻撃があまりにもデタラメで、11年目に入って裁判が終わらない。動労千葉と連帯し、農地を守って闘っている。ともに安倍政権を打倒しよう」と千葉市民に訴えた。
動労千葉の中村仁さん、全学連三里塚現地行動隊などの連帯発言を受け、意気高く市内デモに出発した。「耕す者に権利あり」の横断幕を掲げ、デモは千葉地裁に鋭く迫った。
70年当時の資料
10時30分に開廷すると、顧問弁護団の追及が冒頭から火を噴いた。弁護団が「乙85号証」の墨塗り部分の開示を求めたのに対し、原告NAAは拒否し、裁判長も開示命令を出すのを拒んだ。これに怒りが爆発。
「乙85」は、2012年の文書提出命令によってNAAに提出させた書証の一つ。空港公団(NAAの前身)によって作成された、1970年当時の南台農地の小作者の根本、石橋、市東の3軒の耕作状況を調査した図面入りの資料だが、その大きな部分が提出時に墨塗りにされた。
NAA代理人は今年4月の準備書面でこの「乙85」に触れ、「昭和45年(1970年)頃の耕作状況をもとに当初の耕作地を推測したもの」と言いなしてその証拠価値を低め、自分たちが偽造した「同意書」「境界確認書」の添付図面の方が正しいなどと言い出した。ならば「乙85」の墨塗りは認められない!
だが内田裁判長は、「これ以上の開示は求めない」と繰り返すばかり。傍聴席からは「証拠隠しをやめろ!」と激しい怒りの声が矢継ぎ早に飛び、法廷は数十分にわたり騒然となった。裁判所とNAAの証拠隠しの癒着構造が浮き彫りになった。次回期日を9月25日として閉廷した。
裁判長を許さぬ
報告集会が近くの会場で開かれた。最初に市東さんがあいさつに立ち、「文書をすべて明らかにさせよう!」と呼びかけた。
続いて葉山岳夫弁護士が墨塗りされた箇所を示しながら、「乙85は用地買収交渉に伴う詳細な調査結果として書かれた」と解説し、開示を拒否するNAAと裁判長を弾劾した(写真)。さらに弁護団全員が発言し、証拠隠しに加担する裁判長を厳しく批判した。
質疑応答に続き、全国農民会議共同代表の小川浩さんが「安倍政権の農業破壊政策と対決しよう」と連帯発言をした。
最後に司会の伊藤信晴さんが、7・9現地闘争と樫の木まつりへの参加を熱く訴えて締めくくった。
市東さんの庭に集い交流を
反対同盟が呼びかける7・9現地闘争と樫の木まつりに駆けつけよう。
反対同盟は、「市東さんの庭に集い、開拓100年の歴史を生きる樫の木のように抵抗の根を広げよう」と訴えている。
集会・デモ行進に加え、この場所が強制執行攻撃との焦点であることを実地に確認し、市東さんをはじめ反対同盟との連帯を一層深める企画だ。畑の土、樫の木が枝を伸ばす庭、裁判の重要争点であるやぐら・看板、封鎖された団結街道、目の前を走行し離着陸するジェット機の騒音などを体感しながら、交流の集いが開かれる。
労農学連帯の力で、市東さんの農地を守り抜こう。請求異議裁判、耕作権裁判など全裁判に勝利しよう。
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7・9三里塚現地闘争と天神峰樫の木まつり
7月9日(日)
正午 市東さんの南台の畑集合
畑見学など/12時40分〜うちあわせ
午後1時~開拓組合道路までデモ行進
デモ終了後、市東さん宅中庭に移動
2時頃~市東さん宅中庭でつどい
主催 三里塚芝山連合空港反対同盟
三里塚裁判日程
◎第3誘導路裁判
7月11日(火)
午前10時30分 千葉地裁
◎新やぐら裁判
7月24日(月)
午前10時30分 千葉地裁