国鉄解雇を撤回せよ 動労総連合がJRに申し入れ

週刊『前進』04頁(2847号02面01)(2017/05/29)


国鉄解雇を撤回せよ
 動労総連合がJRに申し入れ


 動労総連合は5月10日、国鉄分割・民営化でJR不採用となった動労千葉組合員のJRへの採用を求め、JR東日本に新たな申し入れを提出した。6・11国鉄集会を前に、1047名解雇撤回闘争はJRと激突する新たな攻防に入った。
 国鉄分割・民営化は戦後最大の労働組合解体攻撃だった。そのために作られたのが、闘う労組の組合員をJRに採用しない仕組みを定めた国鉄改革法23条だ。
 同条は、JRの職員採用手続きを、①国鉄がJR採用候補者名簿を作成し、②JR設立委員会が採用候補者名簿の中からJRに採用する者を決定する----という2段階に切断した。JR不採用とされた動労千葉の組合員は、採用候補者名簿から名前を削られてJRから排除された。この名簿の作成にあたり、国鉄当局は「名簿不記載基準」を作って不採用者を選別した。
 その基準の策定自体が不当労働行為だったことが、JR採用差別事件についての15年6月30日の最高裁決定で確定した。確定した判決は、「国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属していること自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)のもとに」名簿不記載基準が作られたと明確に述べている。
 この名簿不記載基準は、当時JR設立委員長で経団連会長だった斎藤英四郎の命令によって作られた事実も明らかになっている。JR採用差別事件で証拠として提出された『国鉄改革前後の労務政策の内幕』というタイトルの文書には、国鉄分割・民営化当時、国鉄総裁室長で後にJR西日本の会長になった井手正敬が、斎藤の命令を受けて葛西敬之(当時、国鉄職員局次長で現JR東海名誉会長)とともに名簿不記載基準を作ったことを、自らの口で語った言葉が記録されている。(右の表参照)
 動労総連合は今回、この事実をもとに、「JR設立委員会の斎藤英四郎委員長の指示によって不当労働行為が行われたということは、JRが不当労働行為を行ったということであり、その法的責任は直接JRに及ぶ」と指摘して、JR不採用とされた動労千葉組合員を国鉄分割・民営化が強行された1987年4月1日にさかのぼって採用すること、この問題について直ちに団体交渉を行うことなどの4項目をJRに申し入れた。(左上の表参照)
 動労総連合は16年7月にも組合員のJR採用を求める申し入れをJR東日本に行っている。それに対する同年11月のJRの回答は、「当社は当事者でないことから、回答する立場にない」というものだった。JRは「設立委員長の斎藤はJRの当事者」と認めながら、井手の発言については「事実確認はしていない」「関知しない」として団交を拒否してきたのだ。
 この居直りを許さず、動労総連合はあくまで国鉄1047名解雇撤回へ闘いぬくことをあらためてJRに突きつけた。動労千葉夏季物販とともに国鉄解雇撤回の署名に全力で取り組もう。国鉄決戦を基軸に戦争と民営化に対決する6・11国鉄集会に集まろう。

------------------------------------------------------------
動労総連合のJR東日本への申し入れ
1 名簿不記載基準の策定がJR設立委員会の斎藤英四郎委員長の指示によって行われたかどうかは、JRが直接に不当労働行為を指示したかどうかという重大な問題であることから、斎藤英四郎委員長が名簿不記載基準の策定を指示したのかどうかを明らかにすること。
2 上記事実の下では、JRへの国鉄職員の採用・不採用及び不当労働行為の法的責任がJRにあることは明らかであると考えるが、会社の見解を明らかにすること。
3 国鉄分割・民営化(JR会社発足)にあたって「JR不採用」とされた動労千葉組合員を、1987年4月1日にさかのぼって採用すること。
4 団体交渉を拒否する不当な姿勢を改め、直ちに団体交渉を開催すること。

------------------------------------------------------------
斎藤英四郎が名簿不記載基準の策定を命じた
 斎藤英四郎さんが(JR設立委員会の)委員長をしておられたんだけど......いろいろ話をして、まず、選考基準に合致しなかった者は駄目なんだということにしよう。そして選考基準は、斎藤さんが作れと言うので、不当労働行為と言われないギリギリの線で葛西が案を作り、それを斎藤さんに委員会の席上、委員長案として出してもらい、それは了承された。
(『懇談議事録 JR西日本井手正敬会長と語る  国鉄改革前後の労務政策の内幕』から引用)

このエントリーをはてなブックマークに追加