戦争の時代と闘った小林多喜二 小樽商科大特任教授 荻野富士夫さん
週刊『前進』02頁(2846号02面03)(2017/05/25)
戦争の時代と闘った小林多喜二
小樽商科大特任教授 荻野富士夫さん
小林多喜二のことからお話します。2008年に大きなブームが起き、多喜二の『蟹工船』が爆発的に売れました。今でも読み継がれています。
なぜ多喜二は特高に殺されたのか。一つは、1928年3月15日の「3・15事件」と呼ばれる当時の日本共産党への大弾圧を、多喜二は見事な小説で生々しく描写し、それが特高の憎悪を買いました。しかしそれだけではない。日本が「戦争のできる国」へ突き進んでいく中で、その仕組みとからくりを見事に描いた。そのことへの支配者たちの危機感が多喜二に向けられたのだと思います。
多喜二のノートにこんな一節があります。「そもそもかかる大弾圧と残忍極まる拷問をあえてしつつあるブルジョワ政府の意図はどこにあるか。——全労働者農民の利益を代表し、常にその先頭に立って勇敢に戦ってきた前衛分子を根こそぎ強奪し、その強力鉄のごとき組織を破壊して、全労農大衆を永久に搾取の鉄鎖につなぎ、賃金引下げ、時間延長、馘首〔かくしゅ=首切り〕、小作料引上げ、立禁立毛差押さえ〔小作料が支払えない小作人の田畑の未収穫作物を地主が差し押さえること〕を、自由気ままに行わんとするためのものだった。」
彼はこれを「戦争とファッシズムを強行しつつある軍事的=警察的反動支配」ととらえ、「あらゆる革命的諸組織への徹底的弾圧……は来るべき戦争遂行の準備と密接に結びついている」と書きました。時代全体をつかむという、こうした多喜二の姿勢に、現在の私たちも大いに学ぶべきところがあります。
戦前の治安維持法は3・15事件を契機に拡張され、特に1930年代後半、日中戦争の本格化の中で共産主義だけでなく社会民主主義や自由主義、個人主義、民主主義、宗教もターゲットになっていく。対米英戦が視野に入った1941年の改悪でますます拡大し、さらに「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」など、治安維持法を真ん中に置いてその他の法律が重層的に配置された。「思想洗浄」「思想清浄」という言葉が使われ、戦争遂行の障害となる「異物」を排除するために当局は血道をあげました。国民すべてを「清浄」にするんだという発想です。共謀罪のめざすところもそういうものだと思います。
第1次安倍政権下での教育基本法改定、第2次安倍政権下での特定秘密保護法の強行、集団的自衛権行使の閣議決定、安保関連法の強行、こういう流れの中で現在の共謀罪があります。
また自民党改憲草案には緊急事態条項があります。「外部からの武力攻撃」や「内乱等による社会秩序の混乱」といった事態、たとえば大統領を追放した韓国のような運動が日本で起これば、「内乱だ、社会秩序の破壊だ」として首相が全権限を集中掌握し、基本的人権を停止することができるということです。
最後にもう一度、多喜二に学ぶことは、運動・思想の「胞子」の拡散、『蟹工船』にも出てくる「もう一度立ち上がる」というところだと思います。