お礼と新たな決意 奥深山同志の遺志ひきついで星野奪還を 奥深山さんの免訴を実現する会 橋爪利夫

週刊『前進』04頁(2845号04面03)(2017/05/22)


お礼と新たな決意
 奥深山同志の遺志ひきついで星野奪還を
 奥深山さんの免訴を実現する会 橋爪利夫

(写真 奥深山同志の絶筆となった日記。『前進』などを読む決意が記されている)

 星野文昭同志とともに1971年11・14渋谷暴動闘争に決起し、「殺人罪」などで起訴され、公判手続停止中だった奥深山幸男(おくみやま・ゆきお)同志が、2月7日に急逝されました(本紙2823号で既報)。奥深山同志は東京拘置所での長期勾留中に発症した病状のため、94年から東京高裁に対して免訴または公訴棄却による裁判打ち切りを求めていました。奥深山同志の闘病の実態を明らかにし、それを支えてくださった多くの方々に感謝を述べたいと思います。
 最初に確認したいことは、病気そのものは奥深山同志の不屈・非妥協の証であるということです。国家権力との緊張が病気の原因になっていたにもかかわらず、奥深山同志は権力に屈服しなかった。だからこそ彼を守る闘いは絶対的正義であり、多くの人びとの支援を集めてきたのです。
 奥深山同志の闘病と私たちの介護活動には多くの前提がありました。何よりも主治医の先生の存在です。ここまで約40年、奥深山同志とともに現役医師を貫いてこられたことに強い覚悟を感じます。そして奥深山同志の免訴弁護団です。裁判再開策動を粉砕したのはこの弁護団の力です。
 奥深山同志の強いこだわりは「革命家奥深山」でした。『星野同志、奥深山氏』と書かれることに対して、「なぜ俺は同志ではないのだ」と一度ならず厳しく追及されました。このこだわりは、主な症状である幻聴と見透かされとの闘いに加えて、革命家奥深山として屹立(きつりつ)する闘いでした。統合失調症と診断された彼には自身をそれとして認識できません。この心の空洞を、彼は機関紙・誌を読み込むことで埋めようとしてきたのです。そのことによって革命家として屹立するのが彼の闘病だったのです。文字どおり『前進』は病気との闘いの武器だったのです。亡くなる前日まで『前進』『序局』を読み続けていたことが彼の日記にあります。
 革命家奥深山の存在は、農園の収穫祭に集まってくれたみなさんの前であいさつをする、あるいは年賀状や暑中見舞いの返事を書くことで示されました。そのことが自身の存在を確認する有効な手段となったのです。これが彼の実感になったとき、主な症状である幻聴や見透かされを封じ込める力になったのです。遺影となった最後の収穫祭の笑顔の写真は、そのことを示しています。ここに関わった多くの方々の団結の力が生みだしたものです。
 奥深山同志の急逝はその病気にありがちな自死でもなく、医療上の手遅れでもありません。病との激しい闘いで命が尽きたということです。そしてそれは奥深山同志の不屈・非妥協の闘いを最後まで支えきった団結の力の証明です。この団結力こそ星野奪還に向けられなければなりません。
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