安倍の戦争教育を許すな 教育勅語を復権し中学校に「銃剣道」の導入を狙う

週刊『前進』04頁(2837号04面02)(2017/04/17)


安倍の戦争教育を許すな
 教育勅語を復権し中学校に「銃剣道」の導入を狙う

(写真 「銃剣道」の試合風景。軍用銃を模した「木銃」で相手ののどか心臓のある左胸を突くことで勝敗が決まる)

 朝鮮戦争の危機が急切迫する中、安倍政権は全国の学校現場で「戦争教育」をやらせようと必死になって動いている。
 3月31日、政府は教育勅語を学校で使うことについて「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定した。さらに4月3日、菅義偉官房長官は記者会見で、教育勅語を道徳教育で使うことに問題はないかと問われ、「適切な配慮のもとで取り扱うことまで否定することはない」と述べた。社会科の資料として教材などに掲載するだけでなく、道徳教育で教育勅語を使用してその理念を生徒に教え込むことを容認したのだ。

天皇のために死ねと教える

 安倍政権が教育勅語を「復権」しようとしているのは、まさに今、戦争をやろうとしているからだ。「天皇のため、日本国のために命を捧げよ」というイデオロギーのもと、全人民を国家に服従させ、戦争に動員し、もって労働者階級が社会を変革するために立ち上がることを圧殺することに狙いがある。
 そもそも「朕(ちん=天皇の一人称)おもふに……」で始まる教育勅語は、〝天皇がそう思うのだから、お前たち臣民は一人の例外もなくそれに従え〟という命令であり、その本質は国家が命ずる「人間像」を天皇の名で全人民に強制することにある。それは「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以(もっ)て天壌(てんじょう)無窮の皇運を扶翼(ふよく)すべし」とあるように、国に危急の事態があれば天皇のために命を捧げ、自ら進んで戦争に行くことを「臣民」にたたき込むことが最大の眼目なのである。
 このような悪らつな本質をごまかすために、菅は3日の記者会見で「教育勅語には親を大切にするとか、兄弟姉妹が仲よくするなどの項目もある」などと擁護した。このような「教育勅語にはいいところもある」という言い回しは、日本会議を始めとした極右勢力が教育勅語を擁護するために用いるペテンの常套句(じょうとうく)だ。
 だが、そもそも教育勅語の「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し……」なる文言は、親子や夫婦がお互いを人間として尊重し、大切にし、愛し合うこととはまったく異質なもの、いやその正反対である。それは天皇を頂点とする家父長制の強権的支配のもとに子どもや女性を隷属させ、それに逆らうことなく従うことが「朕が忠良の臣民(=天皇の忠実な家臣)」の務めだと言っているのだ。
 その行き着いたところは何だったか。戦時中、天皇のために戦争で死ぬことが「最大の親孝行」などとされ、戦死した子が遺骨になって帰れば、親は涙を見せることも許されず「名誉の戦死」として喜ぶことを強いられた。これが教育勅語によって強制された「忠良の臣民」の姿だったのだ。こんなものは、未来を生きる労働者人民が美徳とするべき一片の真理も含んでいない。
 このように教育勅語は、人民が自分たちの主体的な意志と行動をもって社会をつくり、一人ひとりが人間として自由に成長していくことを、天皇の名で頭ごなしに否定するものだ。しかもそれは「まつろわぬもの」(=天皇に従わない者)を国家暴力で弾圧・排除することでしか成り立たない。教育勅語のもとで行われる一切の「教育」は、実際には教育と呼ぶに値しない暴力と人間蹂躙(じゅうりん)以外のなにものでもない。安倍の意を受けた森友学園がやってきたことがまさにそれだ。

教育現場から怒りの反撃を

 安倍政権はこの教育勅語復権の動きと一体で、中学校の新学習指導要領に保健体育の選択科目として「銃剣道」を初めて明記させた。銃剣および銃剣術は、旧日本軍の侵略性・残虐性を最も象徴するものであり、敵兵だけでなく捕虜や民間人をも対象に「心臓を一突きにして殺す」手段として用いられたものだ。
 第2次世界大戦期、これを学校や一般社会にも浸透させ、日常的に殺人訓練を行わせるために「武道」という体裁をとらせたものが銃剣道である。戦後は旧陸軍将校らによって奨励され、自衛隊の訓練に取り入れられた。今、安倍はこれを退役自衛官などの指導のもとで学校現場に導入しようとしているのだ。
 こんな戦争教育を絶対に許すことはできない。全国の教育現場、教職員組合の分会などで、安倍戦争教育への弾劾決議を上げよう。戦争絶対反対で闘う労働組合を現場から再生しよう。朝鮮戦争絶対阻止・安倍打倒の闘いを巻き起こそう!
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