「教育勅語」賛美する稲田 安倍・日本会議を打倒しよう

週刊『前進』02頁(2828号02面02)(2017/03/16)


「教育勅語」賛美する稲田
 安倍・日本会議を打倒しよう


 森友学園事件をめぐり、安倍・自民党、日本会議、日本維新の会などの極右改憲勢力の犯罪的所業が、次々と膿(うみ)が噴き出すように暴かれている。そうした中、森友学園に「防衛大臣感謝状」を送った防衛相・稲田朋美が、8日の参院予算委員会で「教育勅語(ちょくご)」を賛美する答弁を行った。
 稲田は2006年に月刊誌の対談で、森友学園が経営する塚本幼稚園で教育勅語を園児に唱和させていることを「どこがいけないのか」などと擁護していた。これを野党から追及された稲田は、「教育勅語の精神、その核の部分は取り戻すべきだ」と答弁。さらに「教育勅語が戦争への道につながったとの認識はあるか」との質問には「そういう一面的な考え方はしていない」と反論した。
 稲田の発言は、本来なら辞任では済まない内閣総辞職級の暴言である。終戦直後、戦後革命期の闘いが続く中で、衆参両院は教育勅語と軍人勅諭(ちょくゆ)について、「基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残す」として、「これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する」と決議(1948年6月19日)。以後、教育勅語は国政および学校現場から完全に排除されたのだ。
 菅義偉官房長官は直後の記者会見で「あれは稲田氏の私見」などと弁解したが、稲田発言は安倍内閣の閣僚としての国会答弁であり、言い逃れはできない。何より教育勅語を唱和させる森友学園の方針は、安倍が最も理想とする「教育改革」のモデルケースであり、稲田発言は安倍の本音以外の何ものでもない。

国のため命を捧げよと教育

 1890年に明治政府が詔勅(天皇の意思表示)として発した教育勅語は、そもそも本来の意味での教育(教え育むこと)を目的としたものではない。それは「朕(ちん=天皇の一人称)思ふに」で始まることから明白なように、〝天皇がそう思うのだから、お前たち『臣民』は一人の例外もなくそれに従え〟という全人民への命令である。その最大の核心は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以(もっ)て天壌(てんじょう)無窮の皇運を扶翼すべし」の一文にある。つまり国に危急の事態があれば自ら進んで命を差し出し、天地のごとく永遠なる天皇を頂く日本国を助けよ、と命じているのだ。天皇に命を捧げ、国のために進んで戦争に行くことを「臣民」にたたき込むことが最大の眼目なのである。
 しかも「一旦緩急あれば」とは、何か一般的な有事や非常事態を想定した文言ではない。明治政府は当時、すでに朝鮮・中国への武力による侵略と植民地化を国家戦略として確定しており、その支配をめぐるロシアや米欧との衝突をも想定した上で、全人民に戦争動員を強制する文言を教育勅語の軸心に据えたのだ。実際、勅語から4年後に明治政府は宣戦布告もなく日清戦争を開始し、朝鮮半島に大軍を出兵、以後半世紀以上にわたり戦争と侵略出兵を続けた。

朝鮮戦争参戦が最大の目的

 今日、朝鮮半島で新たな戦争の危機が切迫する中で、安倍と一心同体の稲田が公然と「教育勅語の復権」をわめきだしたことは、朝鮮戦争参戦を狙う安倍政権の戦争衝動を明確に示すものだ。
 だが、すでに戦後革命の闘いで粉砕された教育勅語などを今ごろ歴史のくずかごから拾い出さなければならないところに、日帝・安倍の絶望的な危機と破産がある。
 そもそも新自由主義のもとでの「教育改革」、特に石原慎太郎による「日の丸・君が代」強制の2003年10・23通達以来の攻撃は、森友学園のような「教育」で日本中の学校現場を制圧することが狙いだった。だが、処分にも屈せず闘いぬいた不起立者を先頭に、「教え子を再び戦場に送るな!」のスローガンが現場労働者の誇りと団結の中に生き抜いてきたことが、安倍や日本会議による教育反動を破産させ、今や逆に安倍・日本会議を打倒する情勢を切り開いているのだ。
 今こそ韓国に続くゼネストと民衆総決起で安倍を倒そう!
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