大髙幸一同志を追悼する 非合法・非公然の党建設の最先頭で革命に献身 革命的共産主義者同盟
大髙幸一同志を追悼する
非合法・非公然の党建設の最先頭で革命に献身
革命的共産主義者同盟
大髙幸一同志が、1月30日午前4時21分、昨夏来のガンとの闘病の末、62年の生涯を閉じた。あまりにも早すぎる突然の死であった。
2月7日、大髙幸一同志の革共同葬が執り行われた。ご家族・友人、そして多くの同志が彼をしのび、決意を新たにした。
ロシア革命から100年にあたる今年、戦争と革命の激動の渦中に大髙同志の姿がないのは痛恨の極みである。しかし彼がつくり上げてきた非合法・非公然体制は、党と労働者人民の闘いを防衛し、いよいよその真価を発揮するだろう。
対カクマル戦に
大髙同志は、1954年に札幌で生まれた。高校卒業後、市内の大日本印刷に勤め、この時期に地区党とかかわりを持つ。そして75年、カクマルによる本多延嘉書記長虐殺を一つの契機に党に結集した。党員たちが心の底からの悲しみ、怒りに燃えて反撃に立ち上がる姿を間近で見る中で、党に確信と信頼を持ち決起したのである。
彼は北海道における対カクマル戦の主軸を担うにとどまらず、横浜国立大戦争や法政大戦争に決起し、その体格を生かし、戦闘性を遺憾なく発揮して最先頭で闘った。北海道の地では、泊原発建設を前提とした伊達火力発電所建設反対闘争を闘い、現闘を担った。
前進社防衛の軸
83年に東京の前進社本社に移籍して以降は、党の非合法・非公然体制の中軸を担い、その任務に人生のすべてを捧げた。また革命的共産主義運動の本部である前進社の防衛と維持の主軸を担った。選挙闘争の際には、資材の調達から事務所・宿舎の建設まで、兵站(へいたん)活動のために駆け回った。「革共同が何か始めるときは必ず彼の姿があった」と言えるほど「縁の下の力持ち」として能力を発揮した。「彼がいれば何とかなる」。そのような信頼感、安心感のある同志であった。
2006年の党の革命に際しては、階級的労働運動路線に確信を持ち、指導部としてその先頭で闘った。新たに開始されたマル青労同の闘い、そして学生の闘いを全面的に応援し、援助を惜しまなかった。同志に対しては地区党で闘う青年労働者とともに階級の指導部として自己変革していくことを常に促していた。
同志を厚く信頼
大髙同志は、革共同のすべての闘いを自分自身の闘いとして全力で闘った。機関紙『前進』の新たな印刷工場建設においては、財源を確保するために奔走した。無類の読書家でもあった彼は、機関誌『共産主義者』に論考を載せたこともある。
彼は「現場で闘う同志を信頼し、それに依拠しないでどうして闘えるのか」と常に言っていた。あらゆる闘いにおいて、課題を明確にして全同志で討論し、生きた団結をつくる姿勢を最後まで貫いた。そして困難な闘いにおいては、弾圧覚悟で自らが先頭に立つ、戦闘精神のかたまりのような同志だった。明るく、柔軟でありながら、任務には徹底的に厳格な同志であった。
遺志と任務継ぐ
大髙同志の62年の人生は、革命的共産主義運動そのものであり、革命を決意した一人の労働者の飛躍の人生であった。だから、私たちは確信する----これから無数の大髙同志が全世界の労働者階級の中に生まれ、革命的共産主義運動に結集することを。私たちはこれからも大髙同志と団結し、プロレタリア革命勝利に向かって進撃する。
大髙同志! あなたは偉大な指導者でした。あなたの築き上げてきた闘いの一切は党と党員、労働者階級の中で生き続けます。残された私たちはあなたの遺志と任務を引き継ぎ、いま開け放たれた世界革命の扉の中に勇躍とび込んで行きます。