無実で獄中42年 星野文昭さん即時解放を 沖縄はじめ100万労働者人民と結び労働運動と国際連帯で奪い返そう 革共同書記長 天田 三紀夫

週刊『前進』04頁(2823号03面01)(2017/02/27)


無実で獄中42年 星野文昭さん即時解放を
 沖縄はじめ100万労働者人民と結び労働運動と国際連帯で奪い返そう
 革共同書記長 天田 三紀夫

(写真 救援会先頭に全国から大結集【2月17日 徳島刑務所正門前】)

日米帝の核戦争宣言と対決し東アジア革命へ

 2・10日米首脳会談が、東アジア・朝鮮半島をめぐる戦争会議として行われた。これは革命に向かって立ち上がる日米韓―全世界労働者人民の決起を圧殺するための会議であった。
 決定的なのは、日米共同声明が冒頭で、日米安保同盟においては「核及び通常戦力の双方による、あらゆる種類の米国の軍事力を使う」と、初めて「核兵器の使用」を明記したことである。これは従来のいわゆる「核の傘」論ではない。あらかじめ「核戦力の使用」を明示し、核兵器による先制攻撃を行うことを前提に、朝鮮半島―東アジア、とりわけ中国を標的として踏み込んだということである。日米同盟を核戦争同盟として確認したという意味では、戦後日米史を画する反動的飛躍である。
 さらに、日米共同声明で釣魚台(尖閣諸島)を日米安保第5条の適用対象として明記した。これは日米安保の歴史的な大転換だ。
 このもとで、日米同盟の実体である沖縄の米軍基地は、核兵器の使用を前提とした基地、朝鮮半島と中国に対する侵略戦争の軍事拠点として一大飛躍を遂げようとしている。だからこそ、日米共同声明の核心の一つに辺野古新基地建設がすえられたのである。

沖縄闘争の戦略的位置

 沖縄は、米帝の朝鮮戦争・東アジアでの戦争の出撃基地、戦略的な要衝としてある。その沖縄での、怒りに燃えた全県民の決起―沖縄闘争は、ゼネスト・革命を担う闘いとして決定的となった。
 辺野古・高江の新基地建設攻撃は沖縄闘争の解体であり、労働組合解体の攻撃である。安倍の狙う朝鮮半島・東アジアでの戦争は、国鉄分割・民営化がそうであったように、労働組合の屈服と解体によってしか貫徹できない。
 勝利の道は国鉄決戦を基軸とする階級的労働運動の発展の中にある。日米軍事同盟粉砕! 新たな沖縄闘争の爆発へ総決起しよう。
 米軍政下で基地の島としての沖縄の現実に対する怒りが爆発し、沖縄全島ゼネストが闘いぬかれた70年安保・沖縄闘争。この階級闘争の大地に立ち、星野文昭同志は1971年11・14渋谷闘争に決起した。
 星野さんの闘いは燦然(さんぜん)と輝き、労働者階級人民の生きる道しるべとなっている。

ゼネスト・革命情勢の中 星野闘争の大決戦到来

 全世界的ゼネスト・革命情勢の中で星野さんを奪還する最大の決戦が到来したのだ。ロシア革命100年の2017年、星野さんを奪還するために総決起しよう。
 星野奪還闘争は、反動の嵐をくぐり、2015年から16年にかけて圧倒的な前進をとげてきた。
 第一に、2012年以来の4回を数える徳島刑務所包囲デモ、さらに友人面会を求める申し入れ行動などの波状的な闘いは、徳島刑務所当局を追いつめる、威力ある闘いとなっている。この全国的な取り組みが、地元・徳島の合同労組の青年労働者たちを先頭とする日常的で粘り強い救援運動と結びつき、力を発揮している。
 第二に、星野暁子さんをはじめ家族全員が全国・地域と結びついた救援運動を担っている。
 第三に、再審弁護団の英知ある精力的な闘いが無実の証拠を掘り起こし、全証拠開示を求める100万人署名運動の拡大とも一体となって、再審闘争を強力に推進している。
 第四に、星野さんが獄中で描いた絵と暁子さんの詩を展示する星野絵画展が全国で開催され、星野闘争が大きく広がっていることだ。昨年1年間で沖縄をはじめ全国82カ所で開催された絵画展には、実に2万人をこえる人びとが来場した。今年1月には、婦人民主クラブ全国協議会本部のある神奈川県相模原市の婦民会館に、初の常設展が開設された。
 第五に、昨年1月の『星野新聞』発刊である。全国の救援会をつなぎ、運動を拡大し、星野闘争を1千万人の怒りと結びつける決定的役割を担っている。『星野新聞』を大いに活用しよう。
 そして第六に、動労水戸を先頭に、ついに労働組合の決起をかちとる段階に入ったことである。2月の全国労組交流センター全国総会では「全世界の労働者の自己解放・人間解放の闘いで星野文昭さんを取り戻そう」という特別決議が上がった。職場で開催された星野絵画展に参加した青年労働者が、星野さんの生き方に共感し、職場を変えようとストライキに立ち上がっている。
 「国鉄闘争も星野文昭さんの奪還も、新自由主義を打ち倒し、労働者階級の解放を軸とした人間の全的解放を勝ち取る闘いとしてひとつです」(全国総会特別決議)----星野闘争の前進が国鉄闘争の前進となり、国鉄闘争の前進が星野闘争の前進になるというように、相互に闘いを強め、拡大する構図が生み出されているのだ。

新証拠で無実は明らか

 星野さんは、死亡した機動隊員を「殴打」し、「火炎びん投てきを指示」した実行犯として「殺人罪」をデッチあげられた。星野さんは無実だ。その無念さと悔しさを想起する必要がある。
 物証はまったくない。あるのは検事が取り調べ段階で作成した「供述調書」のみだ。しかも核心的な「供述」をした3人は全員少年だった。11・14デモに参加した群馬県の学生たちを事後逮捕し、長期・長時間の拷問的な取り調べでウソの「供述」を強制したのだ。3人は裁判で「取調官の言うとおり供述させられた」「誰の声かわからなかった」「殴打している星野さんは見ていない」などと真実を語ったが、裁判所はこの証言を退け、ウソの「供述調書」の採用で星野さんは「有罪」とされた。3人の「供述調書」を分析した心理学者・厳島行雄教授は「彼らの真実の記憶に基づくものではありえない」と結論づけた。
 さらに弁護団は、無実を明らかにする新証拠を提出している。
 ①闘争当日、警察官(一郎丸角治)が機動隊員殴打現場の先の東急本店前付近を通過中の星野さんを隠し撮りした写真が証拠開示された。事件後でありながら、星野さんが手にした鉄パイプに巻かれた白い紙は損傷もなくきれいだった。これは星野さんが殴打していない事実を証明している。
 ②殴打現場に星野さんはいなかった。その証拠が、殴打現場から離れた十字路に立ってNHK方向の機動隊の動きを注視していた星野さんが見た車のフロントガラスの光だ。この新証拠に対して東京高裁は、第2次再審請求棄却決定で「星野は十字路を通過したのだから、その時に見たのだ」と難癖をつけてきた。これに対し弁護団は、通過しただけでは光は見えないことを明らかにした新証拠を昨年12月28日に提出した。
 「星野さんの無実の証拠は検察の倉庫にある」----これを合言葉に現在、再審弁護団は全証拠の開示を求めて闘っている。とりわけ、殴打現場近くにいた民間の目撃者11人の「供述調書」の開示を求めている。
 これらの供述は目撃直後の記憶に基づくものであり、そこには必ず星野さん無実の証拠があるはずだ。検察官は開示を拒否しているが、なんとしても全証拠開示をかちとらなければならない。

星野さん解放は力勝負 全証拠開示させ再審へ

 獄中42年の星野さんは今年、無期懲役刑確定、徳島刑務所移監から30年を迎える。無実の星野さんを獄中に閉じ込めておくことなど、一刻たりとも認められない。
 昨年5・15闘争を前に沖縄で開催された星野絵画展は、元海兵隊員による女性殺害事件に対する怒りとも響き合い、沖縄の労働者人民の記憶と現実への怒りを解き放つ場となった。絵画展に参加した年配の女性は「当時私は基地で働いていて全軍労でストライキもしたが、星野さんのことは知らなかった。申しわけない」と驚き、星野救援運動に加わった。これが星野闘争が持っている力だ。
 星野さんが闘った沖縄返還協定批准阻止の71年11・14渋谷闘争から46年。沖縄では今、「基地の島」「非正規職の島」という現実への怒りが燃え上がっている。「すべての人が人間らしく生きることのできる社会をつくろう」と呼びかける星野さんの存在と闘いは、革命への道を示す羅針盤だ。
 道半ばにして逝去された奥深山幸男同志も、病気と闘いながら星野闘争=革命の志を貫いた。星野さんは希望の星であり、星野奪還は希望の未来を開く闘いだ。
 この星野闘争に追いつめられ、震え上がっているのが安倍政権だ。大坂正明同志に対する300万円の賞金つき指名手配もその現れだ。

「30年問題」は敵の弱点

 国家権力は「司法改革」や「裁判員制度」を強行し、さらに「被害者感情」なるものを前面に押し出して刑事事件の重罰重刑化を進めてきた。04年には刑法を改悪し有期刑の上限を20年から30年に引き上げた。これにより無期懲役の「終身刑」化が進んだ。
 一方、法務省は09年3月に「受刑開始から30年経過した場合、刑務所長の申出がなくても地方更生保護委員会は仮釈放の審理を開始する」という通達を出した。これは、日本の法律にはない「終身刑」化が進んだことへの国家権力の矛盾に満ちた対応である。
 星野さんは暁子さんとの面会で、「仮釈放を目標にしたりすると、権力の温情に委ねることになる。無実なのだから釈放せよ。その中に『30年問題』を位置づけることができる。無実なのだから再審で出せ。執行停止せよ。証拠開示と再審無罪を求める運動の一環として『30年問題』にも力を入れていく」「無期懲役の終身刑化に反対することは階級闘争の課題だ」と語っている。不屈・非転向で迎える懲役30年は、日帝・法務省、徳島刑務所を震え上がらせている。星野闘争をめぐる「30年問題」こそ、国家権力の矛盾であり、危機の爆発なのだ。
 逆に言えば、今こそこの敵権力の矛盾と危機をついて、星野さんを実力で奪還する決定的な勝負に出る時を迎えたのである。
 そもそも弾圧との闘いは、直近の埼玉「白タク」弾圧粉砕と全学連の青野君奪還、さらに杉並・神奈川の共同作業所弾圧の攻防もすべてが、国家権力とそれに追随しキャンペーンするマスコミ・民間反動勢力との力勝負だ。これらの弾圧が安倍政権による革命党と労働運動、反原発闘争に対する攻撃であり、新共謀罪の先取りであることを明らかにし、怒りに燃えて反撃することを通じて100万、1千万の怒りと結びつく。それは、人間的共同性と階級的団結を奪還する闘いそのものだ。
 ▼無実の星野文昭さんを今すぐ解放しろ! 全国で星野さんを奪い返す闘いを組織しよう。
 ▼許しがたい国家犯罪を暴き、無実の星野さんの再審の扉を開こう。狭山事件、松川事件をはじめとする裁判事例を徹底的に研究し、全証拠開示の100万人署名運動で階級的力関係を変えて星野さんを取り戻そう。
 ▼沖縄の人びとを先頭とした100万労働者人民と結びつこう。国会議員に強力に働きかけ、国会で問題を明らかにさせよう。この闘いも待ったなしである。
 ▼これらの力を背景とし、1千万人と結びつこう。すべての人びとに全力で働きかけよう。
 ▼星野さん奪還へ、波状的な刑務所闘争を実現しよう!
 ▼階級的労働運動の力、国際連帯の力、全世界の労働者人民の力で星野さんを取り戻そう!
 2017年が勝負だ。星野闘争に総決起し、星野文昭さんの即時解放をかちとろう。

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☆星野文昭さん
 1946年4月27日、北海道札幌市生まれ、70歳
▼66年高崎経済大学入学。全学連として71年三里塚現地闘争本部に常駐し7月と9月の強制代執行阻止決戦で指名手配。11・14渋谷闘争に決起し72年2月に「殺人罪」で指名手配された。75年8月6日不当逮捕▼79年2月、東京地裁で検察が死刑求刑。死刑阻止の署名が12万筆集まった。83年7月13日に東京高裁・草場良八(後に最高裁長官)が一審判決(20年)を破棄し無期懲役判決。87年7月17日最高裁で上告棄却となり無期懲役が確定。10月30日に徳島刑務所に移監▼96年1月に「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」発足。4月17日再審請求したが2000年2月棄却。現在、第2次再審請求(異議申立)を闘っている。

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