国賀祥司同志を追悼する 革命家としての闘魂貫き関西空港反対を闘い抜く 革共同南大阪地区委員会
週刊『前進』04頁(2785号04面04)(2016/10/03)
国賀祥司同志を追悼する
革命家としての闘魂貫き関西空港反対を闘い抜く
革共同南大阪地区委員会
(写真 昨年7月12日に泉佐野市で行われた関西空港反対全国集会で基調報告を行った国賀祥司同志)
2016年8月23日午前4時15分、国賀祥司(こくがよしじ)同志は、ご家族と革共同関西地方委員会の同志に見守られながら息を引き取りました。64歳で、こんなに早く亡くなるとは、誰も信じられませんでした。「もう薬には頼らない。退院して食べる物を食べて、まだまだ闘うんだ。だから見舞いはいいから」と同志は語っていました。さぞかし無念だったことでしょう。
食道がんとの闘病3年、国賀同志は最後の最後まで闘い抜きました。7月24日に関西空港反対集会で基調報告。関空闘争32年を三里塚闘争とともに戦争を阻止してきた偉大な勝利として総括し、「労働組合が団結して闘えば戦争は阻止できる。自治体労働者、関空労働者、住民、しっかり団結して闘おう!」と檄(げき)を飛ばしました。国賀同志、あなたは革命家としての闘魂を見事に貫きました。
泉佐野市議8期
国賀同志の革命運動への決起は、70年安保闘争の激動の時代、1970年に姫路工業大学に入学し、全学連(中核派)に結集した時から始まります。故郷である淡路島への軍事空港建設反対運動や自衛隊基地演習場撤去を闘う日本原闘争を最先頭で闘い、その後、革命的共産主義者同盟に加盟し、「職業革命家」としての人生を歩みました。80年代初め、東の三里塚闘争と一体で軍事空港建設絶対反対の関空闘争が始まりました。革共同は現地闘争本部を設置、国賀同志はその当初から住民と一体となって関空闘争を闘ってきました。85年に「関西新空港絶対反対泉州住民の会」が結成され、森田恒一代表―国賀事務局長体制ができました。国家権力は激しい過激派キャンペーンを行い、全戸に「過激派お断りシール」を貼らせ、住民を監視しました。86年、国賀同志は泉佐野市議会選挙に立ち、当選勝利! 大打撃を受けた国家権力は、投票用紙を押収し何十人も不当逮捕する大弾圧。これは逆に数千もの住民の怒りの決起をつくり出し、弾圧を粉砕して、関空闘争は今日まで30年を超えて闘い抜かれてきたのです。住民は闘いを支持し、市議選は8期連続当選です。
労働者の組織化
国賀同志は、さらに関西合同労組泉州支部の結成に参加し、直接資本家と対決しました。関空労働者の組織化に執念をもって取り組むべきと組合を指導しました。また、自治体労働運動に取り組み、組合つぶしを目的に市職員の賃金カットと民営化を強行する自民党・千代松市長に対して、国賀同志を先頭に地区党は猛然と市職労組合員の決起を訴えました。市職労働者は日本共産党の制動を超えて何度も市長室前に座り込みました。国賀同志は、権力との激突を恐れず正義を貫いて絶対反対で闘えば、労働者・住民は必ず決起するという革共同の信念を体現して闘い抜いたのです。8月25、26日の葬儀は、住民の会、関西合同労組、そして革共同の赤旗が会場の壁を埋める中で、住民・労働者500人が結集し、国賀同志の遺志を引き継いで闘う総決起集会になりました。
国賀同志! 闘いはこれからです。あなたの遺志を引き継ぎ、全党の先頭に立って朝鮮戦争を阻止する労働者階級の団結を組織します! 軍事空港粉砕! 関空反対闘争に責任を取ります。
国賀同志! 革命勝利まで私たちの心の中にあって、ともに闘ってください。最後の勝利を必ず達成しましょう!